裏切りは罪悪でも何でもない。
かと言って善でもない。
ただそれは「 」なのだと、彼は笑う。



「西東ちゃん、僕は神だって裏切るよ」

日本料亭で向かい合って食事をしていた時に徐に男は呟いた。
目の前には相当の値段をはる、日本食が所狭しと並んでいる。
その緻密な装飾のされた料理の数々は西東が日本酒に合うと好んでいるものである。
それらに箸をつけながら日本酒をあける西東と対照的に男はそれらに手をつける様子もなく、不釣り合いなワインをあけていた。
本当は葡萄の匂いと日本食の匂いが混じるのを西東は好まない。
しかし、この男にはなにを言ってもしょうがないことは長年の付き合いからすでに把握済みだった。
故に慣れたというのが適当なのだろう、眉に皺を刻むこともなく、西東は杯を煽った。
喉を焼くように液体は滑り落ち、胃に到達する。
そこで僅か快感に眉を歪めれば、男は瓶に口をつけながら、胃に悪いよ、と笑う。
その言葉を黙殺し、鯛の刺身を口にいれ、ゆっくりと咀嚼し飲み込んだ後、ゆっくり言葉を吐く。

「『僕は神だって裏切るよ』ふん、明楽、お前が神を信仰していたとは意外だったな」
「ふふ、いや別に信仰とかそんな重いものではないけどね、運命くらいは信じているよ、西東ちゃんと出会わせてくれた奇跡くらいは」
「くだらんな」
「そうかな、大切なことだと思うけどね、僕が信仰していたものでさえ裏切ってもいいってくらいの感情は」

そういうと彼は穏やかに笑い、腰を上げた。
いぶかしげにそちらをみあげると、彼は西東の隣までき、手をとった。
彼の手の中にあったワインボトルが床に落ち、赤紫の液体が畳の上を滑り、染み込んでいく。
それを横目で見ながら、視線を向ければ、深い色を瞳にたたえ、彼は微笑んでいた。
まるで深淵の様だ、その色を見るたびにそう思う。

「ねえ、西東ちゃん」
「なんだ」
「僕は神だって裏切るよ、裏切って見せるから」


「他でもない君に為に」






「その結果がこれか」

部屋の惨状を見、苦笑した。
破壊された無機物はその原形をとどめず部屋の中に散乱し、部屋には鉄錆の匂いが充満し、生命の薫りは一つもない。
崩壊した有機物の集積。
白い壁に、床に先程まで生命維持の機能を果たしていた液体が黒く変色をして飛び散っている。
それは同時に自分をも濡らしていた。
緩慢に起き上がれば体に痛みが走る。
その痛みの原因を見ればそこは出血をするか、赤く欝血してはれ上がっている。
それに苦笑し、立ちあがると、痛む足を引きずり、一つの残骸の元に歩を進めた。
うつぶせに倒れているためにその表情は見えなかったが、それが突っ伏している赤い池の広さを見る限り、それが絶命しているのは自明だった。
その傍には狐の面が落ちている。
目を細め世界を傍観するその視線に、一人でに名前が漏れた。
それは、自分の為に世界すら裏切ることを辞さないと笑った男の名前だった。
そしてそれは現実として、ここにあるのだと知る。
彼は神を裏切った、完膚なきまでに裏切りつくした。
その結果として、今自分は彼の名を呼んでいる。

「明楽」

神を裏切る、つまり世界律の崩壊。
世界から切り離され、世界の物語から疎外され、それでも生きることを許されている存在。
普通の人間は死ねば世界から切り離されて、それでしまいなのだろう。
それでも自分は生かされている。
あの男の思惑によって。

「世界の終わりを一緒に見ようね」

自分に破壊の役割だけを残し、男は逝った。
隣で物言わぬ屍となった男にとって自分は、本当は、ただ手段としての存在でしかないのかも知れない、と思う。
自分の手足として世界を崩壊させる手段、自分が死んだあとも狂おしいほどに彼が愛した世界を破壊するためだけに生かされた、存在。
本当に彼が愛し、欲したのは、この世界だけだったのかも知れなかった。
自分に愛していると繰り返していたのは、自分の欲望を投影する存在として、西東を傍に置く為だけだったのかも知れなかった。
それでも。
髪を、衣服を血で染めて、動かぬ無機体へと還元された存在を見下ろしながら、笑う。
彼が神を信仰していたのかはわからない。
それでも彼が愛した世界の鎖を自分の死で断ち切って、生かしてくれた以上、二人の果たせなかったものは果たさなくてはいけないのだろう。
痛む体をかがめ、彼の傍に落ちていた彼の血で汚れた狐の面を拾い上げる。
その表面をゆっくりと撫で、汚れてはいるが、割れてはいないことを確認すると、それを懐にしまう。
そして、いつも自分に触れていた手がもうそこにないことを確認すると、踵を返した。

「お前は死なせてやらんぞ、明楽」

扉をあけ、外気に触れれば体の節々が、傷が痛んだ。
その痛みにさっきの状況が現実なのだと改めて思い知らされたが、どこか、夢のような感覚に陥る。
死体は確認した。
あんな惨状で生きていたらそれこそ化けものだと思う。
それでも、彼は生きているのだと、ひしひしと感じていた。
あの軽口を発することはない、それでも彼は笑ってここに居る。

「お前には世界の終わりを見せてやる」

言葉に、彼は笑う。
言葉はない、それでも彼はこれからも共に在るのだという確信に西東は口角を持ち上げた。
これからも共に、世界が終るその日まで。
彼との望みを成就するその日まで。


さあ、終わりを、はじめようか。





は其れを愛だと云う




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邪悪×最悪。
狐さんは何度読んでも明楽が好き過ぎて見ていてときめきます。
戯言で一番の公式だとおもう、あ、嘘、一番は出人ですが。

title群青三メートル手前