dolce (もう一度、でいい) 血の海に立ち尽くしながら曲識は口を閉じた。 それは、先程まで使っていた声帯を閉じたと同義、つまり戦闘が終わったことを指している。 目の前には一人の少女が倒れ伏していた。 その一人から流れ出たとは思えないほどの夥しい血の量、あたかも海。 鉄錆の臭いに支配されたそこで曲識の胸を打ったのは、ある色だった。 赤。 血の色は本来赤とは言えない、どず黒い色をしている。 動脈を切った時も同様、鮮血が吹き出しはするが地面と同化していまえば只の黒い染みだった。 それが違ったのは少女の髪の色である。 真っ白純白、そこに染み込んだ赤。 すぐに、五分もすれば黒く色を変えるだろうそれはまだ赤を保っていた。 いつも、手加減などはしない曲識だったが、今回はそれに輪をかけて酷かった。 ほぼ、頭部以外は原形を留めていないといって良い、最初の一撃、散った鮮血、それが染めた白、其処からはっきりと理論的に説明できる思考を曲識は所有していない。 (もう一度でいいんだ) 赤い髪、それを見下ろしながら曲識は、嘗ての少女を思い出していた。 昔、己の前に現れた少女。 くっきりとした赤を所有し、それに負けないくらいくっきりと生きていた少女。 そして貰った拍手、結んだ約束。 それらを思い出すたびに曲識はただただ胸が痺れるのを感じる。 その感情の名は知らない、辛い、それでも、捨てようと思わない感情だった。 きっと彼女は忘れているだろうと曲識は確信している。 世界を自由に生きている生き物だった、誰にも拘束されず、自分にすら拘束されない彼女は過去なんて、忘れてしまうだろう。 絶えず今日を生き、明日を目指す、昨日は笑って捨ててしまいそうだった。 彼女は大人になった、名も無き少女は、哀川潤になり、人類最強になった。 手も届かないであろう、弧高の存在。 そんな彼女が数ある殺し名の中の、しかも異端、零崎のそのまた異端、零崎曲識との約束を覚えている、それはおろか自分の名前を覚えているかすら危うい。 それでも、ただ会いたかった。 忘れられていても構わない、それでもいい、ただもう一度だけ。 その為に曲識は異端児扱いされようとも、菜食主義を貫いてきたのだ。 じわじわと乾いてきたのだろう、少女の髪は赤黒く染まっていく。 それを見て、曲識は踵を返した。 かつんかつんと、靴音が響く、それを聞きながら曲識は網膜の裏に焼きつく、彼女の赤を思い出していた。 (会いたい) もう一度だけでいい。 そうしたら自分は笑って死ねるだろう。 番号をつけるもおこがましい、あの歌を、たった一度だけでいい、彼女が覚えてくれていなくてもいい、一度だけ演奏が出来たら。 机の中に、頭の中に心の中に、それだけに為にしまってあるあの曲が、彼女に届いたら、その後どんな惨めな死に方を迎えたとしても。 きっと笑って死ねるだろう。 いや、絶対に。 敵ででも構わない、あの笑顔、それでこの歌を聞いてくれたら。 あの時のボーイソプラノでもないこの声ではあるけれど、もしも、拍手をもらえれば。 きっと、きっと。 その時、自分は心から笑えるような、そんなきがするから。 故に、音楽家は、ただ願う。 「もう一度、会いたい」 ++++++++++++++++++ 曲識→潤 曲識さんの一途さは、素敵過ぎます。死にそうだ。 material:NOION |