「ああ、まだ世界は終わらない」

嬉しそうにそれでも忌々しそうに、絨毯に白衣を広げるようにして男は寝そべっていた。
膨大な資料が傍には散乱していたが、男がそれを必要としている様をあまり西東は見たことがなかった。
寧ろ、自分たちにとってそのような紙媒体の記録など不必要だった。
失敗した実験の条件、成功の条件、そんな簡単な情報は十分にこの脳髄で記憶するに足る程の量でしかない。
それを世間一般からしてみれば、異常、とされる情報の量だとしても、だ。
それなのになぜ紙媒体に記録しているかといれば、いつも三人で実験をしているわけではないから、というのが建前で実際は目の前に寝そべる男が、世界の終りへの記録だと、尤もらしく嘯いたからだった。

僕たち三人が終末へと歩む、その道の足跡、さ。

まるで遠足を楽しみに指折り日数を数えている、そんな気楽さで、男は笑う。
その言葉に、そんなものか、ぐらいの感慨で、西東は実験資料を残していた。
勿論、整頓などもってのほかだった、故に床に散乱しているそれらの情報は、いろいろな時期のものがぐしゃぐしゃに混じっている。
今、西東の足元にあるものは三年前のものであったし、その一枚下は二か月前のものだったし、男の目の前にあるのは五年前のものだ。

「なんかすごく、バナナが入ったプラスチックの筒を前にウロウロしている猿の気分だ」
「『猿の気分だ』、ふん、お前がそんな低俗なものに自分を例えるとはな」
「いやいや西東ちゃん、猿をなめちゃだめでしょ、僕たちと起源は同じものだよ?一歩違えば僕たちはああなっていたかもしれないんだから」

同時に、また紙が降る。
それは先ほどまでサイドテーブルの上に積んであった資料だった。
寝たままに引っ張り出されては広げられ、男がそれらに目を通すさまに、西東は呆れ、傍に座ると、詩集を取り出した。
真剣に文字を追うでもなく、ページを繰る、広がる世界、音、文字。
描かれる美しい世界に西東は、この芸術が失われるのが唯一世界が終ることへの弊害か、と思う。
否、それを失うが終末と繋がるかも知れない。
それくらい、己らが目指す世界の終末は曖昧模糊としていた。

「ねえ、西東ちゃん、世界の終りを一緒に見ようね」

気に入っている篇を数回なぞったところで急に思考は断絶された。
それは、もう飽きるほどに聞いた言葉のフレーズであり、西東は深くため息をつく。
酷い時は一日に何度でも繰り返されるその文言。
脳髄へと繰り返し滑り込み、焼きつくように熱を持つそのフレーズ、ある意味それは洗脳に近いと思っている。
何度も何度も。
それは、純哉に対しては吐きかけられない、二人でいる時しか紡がれぬフレーズ。
そこに意味はあるのかないのか、邪推するも愚かと言わんばかりに繰り返し、繰り返し、その言葉は紡がれる。
だから、意味を、求めることにすら西東は、飽きていた。
蔑むような視線を浴びせれば、男はにこりと邪気のない笑みでほほ笑む。
それは、少年のように。

「くどい」
「だって、西東ちゃんは最後まで一緒にいてくれなくちゃ」
「純哉はどうなんだ」
「純哉ちゃん?純哉ちゃんには悪いけど、純哉ちゃんはいつか僕たちについてこれなくなると思うよ?」
「『ついてこれなくなると思うよ?』、捨てられるの間違いじゃないのか」

もう一度本に視線を落とす。
すれば、少年のような男はねえねえと、親に強請りごとをするように、西東の白衣の裾を掴んだ。
そして、一気に深度を増す声。
そこには、少年のような純真さはなく、ただ、粘土の高い、執着を伺わせながら。

「ねえ、西東ちゃん」

ああ、だからこの男は嫌なのだ。



「僕と一緒に世界の終りを見るのは西東ちゃんだよ、絶対、西東ちゃん以外、いない」



一度だけ、この男にとって破壊したいものとは、一体この男にとって何なのだろうと考えたことがある。
初めは、恨んでいたり嫌っているのだと思っていた、だから終わらせるのだと。
しかしそうでないことを西東はもう知っていた、この男はただ、愛しているのだ。
狂おしいほどに、愛しているのだ。
この愚かしく汚く、それでもどこか美しいこの世界を。
それは子供のような発想なのだろう、何よりも愛している、手放したくない。
だが、自分だけのものにはならない、それならば。
それならばいっそ、この手で。

「西東ちゃん、ねえ、聞いてるの」

なにも言葉を返さず、男を見下ろす西東を不審に思ったのか、男の細い学者の腕が伸ばされ、指が西東の手首を掴んだ。
その緩い力に反抗すら、そして反応すら示さず、男を見下ろす。
この手が、一度でいい、この首に伸ばされはしないかと考えたことがある。
甘く世界に対しての終末願望を語るように、その唇が自分の名を呼ばないかと考えたことがある。
『世界を、終わらせようね』
そう、そう云って自分を縛っていくくせに、閉じ込めていくくせに、上っ面の愛情を吐き気がするほど浴びせかけてくるくせに。
男が紡ぐ言葉は、いつだって世界への賛美、世界への狂おしいほどの愛情なのだ。
それでも、と、西東は自嘲する。
彼が閉じ込めているのではない、そうだ、自分はただ離れたくないのだ。
まるで、執着してなどいないという風を装いながら、ただ。
最初は気まぐれだった、それでも、ただ、最後までこの男と、世界が終る瞬間までこの男と、世界を壊して。

「くどいと言っているだろう」
「酷いよ、最悪だなぁ西東ちゃんは」

腕を、急にひかれ、絨毯の上に倒される。
背中で今まで終末へとカウントダウンしてきた足跡が潰される音がした。
天井を仰ごうと体勢を変えると、上に、影が落ちる。
思い通りにならないことに不満を覚える表情、子供のようだ、視界を覆う表情に、西東は思わず笑った。

「『最悪だなぁ西東ちゃんは』、ふん、乗りかかった船から降りるほど俺が義理のない人間だと思っているならば、明楽、お前のほうが最悪だ」
「僕は邪悪で君が、最悪だろう」
「どうだか」

肩をすくめれば、男は安心したように笑う。
本当に子供だ、何もかもを自分のものにしようとしている、そのスタンスが。
そして、そのような男のそばに居続ける自分も。
その為に不毛ともいえるかもしれない、世界の終りを目指す、その事実も。

「ちゃんと終りまで付き合ってやる」
「うん、君ならそう言ってくれると思ってたよ」
「だからさっさと終わらせろ」
「うん、君ならそういうと思ったよ」


「西東ちゃん、大好きだよ」
「ふん、いってろ」


伸ばされた手は、首を回る。
それは絞めるためではなく、抱きしめるために。
その様に感じるのは苛立ちでも嫉妬でも悔しさでも何でもない。
ただの興味だった。

『お前が愛した世界が終ったとき、どんな顔でおまえは愛を語るんだ』






供が作った砂の城



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なんか、狐さんが明楽が好きなのがいけないんだ!ってくらい狐さんを明楽ラブに書いてみた。
私の中で世界←←明楽→←←狐(西東)みたいな感じです。