心臓にナイフを









鋏が欲しければ、兄貴を殺せばいい。
それは絶対で確実で簡単な方法だった。
簡単だ、自分の持っているナイフをあの男の心臓、または脳に向かってただ振りおろせばいい。
別に人間離れしている実力を有する自殺志願だって、サイボークか何かであるわけではない、人体が損傷し死滅するような致命傷を与えればそれで確実に死滅する。
いくら、人外であったって、鬼であったって、人は人だ。

しかし、人識は、どうしてもそれが出来なかった。
家族だ、共に暮らしている、帰る場所はある、兄貴が根城にしている家に行けばいつでも殺せる。
しかし、それができない。
それは別に自分がこの男の心臓にナイフを突き立て、その結果として、自分が殺人犯扱いされて、一賊郎党から命を狙われることを回避せんとするからではない。
わからない、それでも、この腕は、虚空で止まってしまうのだ。
息を殺し、意識を集中する、一瞬でこの刃先はこの男の内臓を全て蹂躙するだろう。
あと、一つのきっかけでこの男は絶命する、その確信がある、しかし、それ以上体は動かない。
理由などわからない、だけれど、動かない。

布団の中、長い四肢を折り曲げて、月光の下、鬼という、地獄という異名を持つ男がまるで、この世界は天国かと言わんばかりに安らかな寝顔を浮かべ、眠っているのを見ていると。

「あーくそ」

体に入っていた力を弛緩させ、殺気も緊張も解き、人識はそのまま後ろに倒れこむ。
土足のまま、双識のベッドに上がっていたことに今さら気がついたが、構いはしないだろう。
手から離れたナイフは、ベッドの上で一つ、跳ねて、フローリングに落ちた。
堅い音が、月光に照らされたフローリングに、跳ねた。

「物騒だな、人識」
「起きてるなら、さっさと声かけろよ、趣味わりぃな」

白い布団の山の下で、双識が僅かに震えているのを感じた。
それは十中八九、嗤っているからだという事も人識は知っていた、故に眉根を寄せる。
人識がこのようにして双識を殺そうとしたことも、この一回だけではない、それに殺気を感じて起きないほど、鈍い男でもないことを人識は知っていた。
双識は、人識が双識を殺せないことを知っている、重々知っている。
軋識や、曲識の前では双識を殺す旨の発言をすれば、双識にぼこぼこにされるが、双識は、人識がこうして双識を殺そうとしても一度も叱らない。
それは確実に、双識は人識を殺せないことを確信しているからにすぎない。
そのような余裕に、人識は苛立つのだ。

「部屋に入って、ナイフを向けるまでのスピードは良かった、人識、暗殺にも向いてるんじゃないか」
「殺人鬼だぞ、暗殺なんてしねえよ」

人識は腕を頭の後ろで組み、寝ころんだまま空を見上げた。
僅かにあいているカーテンから見える空はまだ暗く、しかし、月光のせいで明るい。

「それに、対象を殺せなかったら意味ねえだろ」
「そりゃそうだ」

人識にとって、今までナイフの先が止まったことなど、この男を対峙して以外何もない。
この男が唯一の例外なのか、それとも、そのような相手がこの先何人も現れるのか。
人識は、体を起こし、双識に枕元に移動した。
そして、腕を枕にし、うつ伏せに寝ころぶ。
双識は自分の陣地がとられるからか少し嫌そうにしたが、それでも人識が寝ころべるスペースを空け、枕に頭を預け直し、天井を向いて瞼を攀じた。
眼鏡をはずし、オールバックとは程遠い髪形をした双識が、カーテンが揺れるごとに差し込む月光に照らされるのを横目に見ながら、人識は続ける。

「なあ、兄貴、なんで俺はあんたを殺せねえんだろうな」
「さあな」
「俺は純血のくせに、零崎にある殺意が足りねえのか、それともあんたが家族だからか」
「さあな、それがわからないから、お前はまだひよっこなんだよ、人識」

憮然とした表情で見やった人識に、双識は、眼を開き、やんわりと笑って見せた。
そして、双識の細く、それでも大きい手が、人識の頭を、軽く叩いた。


「お前の心に聞いてみろ」


双識の言葉に、人識は一層不機嫌になる。

「心ってなんだよ」
「さあな」
「どこにあるんだ、理科の図表にも乗ってねえぞ」



「それは、お前が探すことだよ、人識」



「そうかよ」



人識はそういうと、双識に背を向け、窓側を向いた。
こころ。
それは、この男を殺すときに躊躇させた痛みか。
それは、過去決別した友人を失った時の痛みか。
すればどこが傷んだのか、どこに傷が入ったのか。
わからない、わからない。
理解が、出来ない。
それは、自分が殺人鬼だからなのか、それとも鬼の子だからなのか。

理解、出来なかった。

(どこを探せば出てくるのか)

あるいは、殺し名。
あるいは、呪い名。
あるいは。


「人識」
「なんだよ」
「たまには一緒の布団で寝よう、昔みたいに、ほらおいで」
「気持ち悪いんだよ、変態、ってかてめえと一緒の布団で寝たことなんてあったかよ、殺すぞ」


人識の言葉に、双識は高らかに嗤った。


「やってみろ」





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戯言遣い編からの妄想でした!!
まさかあの流れからお兄ちゃんの名前が出てくるとは思わなかったです。びっくり。


material:NEO HIMEISM