排 水溝 しゃきん、鋏の音が浴室に響いた。 はらりとタイルの上に堕ちたのは茶色い髪の毛だった。 切り落としたのは、灰色の髪を髪をした、ちょっとだけ年上の少年だ。 彼はプラスチック製の椅子に座っている舞織の背後に立っている。 舞織の右手には大きい鏡があり、その前には何種類かのシャンプーが並んでいる。 そのうちの二つのボトルに大きく舞織とマジックで書かれていた。 「人識くん、失敗しないで下さいよ?」 「あー?失敗されたくねえんだったら外に切りに行けばいいだろ」 「何言うんですか、こんな可愛い子が外に一人で出て行ったら、この前の早蕨よろしく、舞織ちゃん可愛いねって攫って行っちゃうかもですよ、早蕨程度ならどうにかなるかもですけど、もっとつよーい人達だったらどうするんですか、殺されちゃうかもですよ?人識くんの言う欠陥製品さんだったら髪の短い子は問答有用で殺すんでしょう?そうなっちゃったらどうするんですか!」 「・・・おいおい、お前最近余計に兄貴に似てきたぞ」 「うふふ、というのは建前で実際はこんな恰好で髪切りに行ったらお店の人が困るからです」 そういうと七分袖のTシャツをぶらぶらさせる。 切断された腕の先端はまだない。 本来余るはずのない袖の先。 それを見たのか見てないのか、ああ、と彼は呻いた。 そのあとはしんとした空気が浴室には満ち、ときおりしゃきんと鋏が鳴り、髪が床に散っていった。 白と水色のタイルに散っていく茶色い髪の房。 それを見て、ああ、こんなにも月日がたつのは早いのだと一人感慨に浸る。 突発的に同級生を殺害し、殺人鬼に目覚めたあの日。 変人ばっかりが目の前に現れて「零崎」とか名前をつけられて、両腕を切り落とされて、殺されかけた。 そのあと連れてこられたこの家で、途方に暮れたのはつい昨日のようだ。 未来についてなんのビジョンもたたなくて、明日も生きているのか訳もわからず毎晩泣きながら寝ていたというのに、現金なものだった。 しかし多少不自由で、前髪が伸びて来て自分で切れないうえにピンでとめることができなくて不便でも、昔に戻りたいとは思わなかった。 いつも優しくない彼が、彼の指が髪を掴み、切っていく。 しゃきんしゃきんと浴室内に静かに反響され増幅される音。 はらりと首を掠め、床にちる髪。 櫛ではなく手で軽く揃え、また髪を掴んでいく。 その時微かに伝わる彼の体温にくすぐったくなる。 また離れる、その繰り返し。 プラスチックの椅子は少し冷たく、裸足の足に触れるタイルはもっと冷たい。 首に触れる髪の量と長さは明らかに減っていっている。 彼の鋏さばきは尋常ではない。 今まで切ってもらったどんな美容師より、鋏の使い方がうまかった。 そして、指先が、優しい、そして、熱い。 それが繰り返されるたび、舞織はどうしようもなくなる。 胸が苦しくなり、熱くなるのだった。 鏡が目の前になくてよかった、と舞織は思う。 鏡があったら耐えるようにじっと唇をかみしめている自分に彼が気付いてしまっているだろうから。 苦しいのですよ、人識くん。 この人にずっと髪を切ってもらえるのだと、そう思うととても心が暖かくなる。 それは家族だから、この人の妹だから。 どろどろに溶けるまで甘やかしてもらえる、ずっとずっと。 頼めば傍にいてくれる、きっと頼めば手を差し伸べてくれる、気が向いたら抱きしめてくれる。 それは、でも家族だから。 そして家族だから、自分が彼を止める何かになれはしない。 それは、おにいちゃんが、既に証明していることだった。 彼にとって家族とは、何かをする目的にする存在ではないのだろう。 ただ、時々帰る場所。 言うなれば、止まり木。 どこへでも気が向いたら行ってしまう彼が、思い出したときだけ、帰ってくるところ。 間違えても家族に会うため、世界中のどこからでも馳せ参じる、そういう場所ではない。 だから、行くな、傍にいて欲しい、それを言うことはできない存在。 そして、家族だから。 一生、この胸に閉じ込められている感情を吐き出すことはできない。 言ってはいけない。 苦しい・・・。 強く目を閉じれば目の奥が熱くなった。 慌てて拭おうとするが、毛先を揃えているのだろうか頭が押さえられていて首が動かせなく、腕の袖は足りない。 目だけを動かして何かないかと探るが、几帳面なお兄ちゃんが奇麗に整頓している風呂場にはなにもなかった。 仕方がない。 舞織はそう思うと、右の足をふりあげる。 「えい!」 シャワーのノズルから熱湯が噴き出し、自分の頭の上から降り注ぐ。 同時に彼にもまともにかかったらしい、何か呻くような声がした。 濡れたことで涙はすっかりと隠された、おかげで体は服が水を吸ったせいで重くなっていた。 振り返ると彼はずぶ濡れになった髪から水滴を滴らせながら風呂場の入口で眉をしかめていた。 床の上を、自分の髪が流されていった。 排水溝でそれはとどまり、水だけが渦を作る。 排水溝で留まり流れることを許されない自分の髪の毛、胸に痞えさせたまま流すことのできない感情。 それが重なって見え、視界に映る彼がまたぼやけそうになった、しかし、流れる水流はそれだけは拾って流してくれる。 「人識くん」 貴方が好き。 しかしその言葉は、その言葉だけは流すことができなかった。 そしてどこか理性で、その言葉だけは言ってはいけないと、そう分かっていた。 だから、息を深く吸い、笑顔を作る。 「水遊びしましょう」 「は?」 「水遊びですよぅ!かみ切ったら流さないとでしょう?手が使えないので流して下さい」 そういうと蛇口を最大までひねり、ノズルの先を彼に向けた。 開けっ放しになっていた脱衣所にも水が流れ出す。 後でお兄ちゃんに怒られるかも知れなかったがきにしてられなかった。 驚いた顔をしていた彼は一瞬で楽しそうな表情に変えると、近づいてき、壁にかかっていたシャワーを外すと、そのままこちらに向けてくる。 悲鳴をあげにげようとするがなんにせよ浴室はせまく、まともに頭から浴びる羽目になる。 「まったく、しょうがねえな」 そういうと彼は髪を指で乱し始める。 乱暴に洗われる髪に痛いですよう、と文句を言いながらただされるがままにしていた。 シャワーの水滴が壁をたたきばらばらと音を立てる。 涙は少し零れてはお湯にまぎれて、わからなくなっていく。 全てが流れてしまえばいいのに。 貴方を思うこの気持ち全てが。 そうしたら貴方に与えられる好意にずっとどろどろと何も考えずに溺れていられるのに。 断続的に続く強い水流でもはたして排水溝は塞がれたまま、緩く渦を描いて静かに、ただそこにあった。 +++++++++++++++++ 舞織→人識 ある恋愛小説を読んで書きたくなりました。 でも可愛い二人がいなくてこの子たちに・・・! 人識がいろいろ似非ですいません。お粗末さまでした。 |