最後まで責任を持つ、そう決めている。
それを織り込み済みで君に手を差し伸べたのだから。


年の瀬が迫る仕事納めの日。
流石に裁判なんてなく、成歩堂法律事務所は一年に一度の大掃除におわれていた。
要らない書類をシュレッダーにかけ、大切なものは丁寧にファイリングをしていく。
全く終わりが見えない状況に成歩堂がため息を吐いたとき、スーツのズボンに入れっぱなしだった携帯電話が振動した。
こんな日にまさか依頼ではないだろうな、とディスプレイに表示された文面は、普段自分からは全く連絡などをよこさない、幼馴染でライバルで相棒のその人からだった。









12月28日







御剣の父親が眠る墓地は師走の忙しさとは隔絶されており、ひっそりとしていた。
空はすっきりと晴れ渡っているのにどこか物悲しく、世界がくすんで見えるのは季節だけの所為ではないのだろう。
あちこちに疎らに人影はあるが、みんな一様に声を潜めるように死者との対話を行っているように成歩堂には見える。
そしてそれは成歩堂の横を歩く男の表情の所為も少しはあるのかもしれないなと、強張った横顔を見せる御剣をみながらぼんやりと思った。

御剣はいつものワインレッドのスーツの上に、すっきりとした上質な生地の黒いコートを着、背筋をまっすぐに伸ばし、法廷を横切るときや検事局を闊歩するときと同じように颯爽と歩く。
磨き上げられ、高価な革でできているのだろう靴が、こつこつと石畳を叩く。
しかし、いつも通りの服装に身を包んだ御剣が浮かべる表情はいつもの余裕たっぷりで酷く嫌味な表情ではなかった。天才検事。その称号を冠する男とは思えない程に、その横顔には余裕というものが欠落していた。

『墓参りに付き合ってくれないだろうか』

唐突に送られてきた一通のメール。
一瞬片付けの手を止め、怪訝に思いながら、カレンダーを見上げた瞬間、そこに記されていた日付に成歩堂は唐突に一件の事件を思い出した。
彼の人生を変えた裁判。それらのすべての根源。一つの長らく未解決のままに埋もれていた事件。
忘れ去ろうとしていた彼の過去の傷を深くえぐり、そこから真実を拾い上げることで、真の解決に結びついたあの事件を。
彼の信じていた世界を破壊しつくし、彼が歩むべき道を全て消し去った事件を。
そしてそれを齎したのはすべて成歩堂自身だったのだった。
彼の希望も意向も全てを無視して、自分が正しいと思うもののために鉄槌を振り下ろした。正義が自分の手の中にあると信じて。

整備された石畳を歩んだ先、唐突に御剣が立ち止まった。そこに佇むには華美でもないありふれた質素な一つの墓石。滑らかな表面には御剣の姓が刻まれていた。
もう、15年ほどそこにあったと思われるそれはそれでも小綺麗に保たれていた。
誰かがずっと管理を行っていたのだろう。しかしその誰かが御剣ではないことは明白であった。証拠に御剣の手にはおそらく御剣家の墓石のある場所が記されたメモが握られていたからだった。
御剣は手に持っていたメモをコートのポケットにしまうと、いつものように洗練された動作できれいに掃除された墓に白い花を手向ける。
しかし成歩堂はその指先が僅かに震えているのを認めた。それが緊張であったのか寒さであったのか判然とはしなかったが、それでも強く引き結ばれ色を失った唇を見れば一目瞭然ではある。
成歩堂は不器用な御剣の横顔にため息を吐きながら、それでも何も言わないことに決めていた。彼は進もうとしているのだ。15年という間彼を苦しめ続けた暗闇から。すればそれを見届けるのが自分の仕事だ。
御剣はゆっくりと手を合わせ、そしてそっと目を伏せた。そして数瞬後に、ゆっくりと瞼を持ち上げる。そこには不安に揺れ、それでも強い決意を込めた御剣の灰色の瞳がある。それらも全部。成歩堂は黙ったまま、御剣の言葉を待った。

冬の冷たい風が、静かな墓地を抜けて行く。
高い空を白い雲がゆったり流れて行く。それでもその中で時を止めたように御剣はじっと佇んでいる。
そのまま御剣はしばらく押し黙っていたが、やがてゆっくりと肺の空気を吐き出すと前をしっかりと見据えた。
そしてゆったりと自嘲気味に笑みを描く。


「ずっと、ここに来れなかった」


「父は、きっと私に殺されたのだとそう思いながら死んでいったのだろう。自分が慈しんだ息子に。そう思うとここには来れなかった」

―私を殺したのは。

一人の霊媒師が黄泉の世界から呼び出した彼の父親の霊魂は一人の男の名前を告げた。
しかし、彼の父親が告げた名前は御剣の名前ではなかった。
本当の犯人の名を知らなかった彼は、最後の瞬間拳銃を持ち、それを発砲した可能性の一番高い人物ではない名前を、この世界に残した。一番、彼を殺した可能性が高い人物に、死者は目をつぶった。
死してなお、息子をかばったのだ。真実を求め続け、それを信条としてきた弁護士は意図的にか、偶然か、死後その主張を変えた。

「そして私は彼を裏切った。彼の宿敵に師事し、被告として挙がった人物は全て有罪にしてきた。事件の裏にあった真実に、目をつぶって」

犯罪者を憎むふりをして。本当は自分が犯罪者であったかもしれないのに。それを都合良く忘れて、自分は正義を振りかざしてきたのだ。
真実など関係なく、疑わしきは罰する、それをすべてとして。
自分の親を殺した犯人を師匠として慕って、その戦い方と、権力を全て利用し尽くして。
たくさんの無罪であった可能性のある人々を、有罪としてきたのかもしれない。第二、第三の灰根光太郎を、そしてその恋人のような存在を作り出していたのかもしれない。

御剣はそういうと目を伏せた。
それでも成歩堂は沈黙を守る。
慰めの言葉など、彼には必要ないからだ。すべてを乗り越えてここに立っていることを成歩堂はしっている。
法廷で声高に主張をし、被告を問い詰めるのではない。検事局での得意げで、強気な検事でもない。成歩堂の事務所で年下の少女たちと楽しげにヒーローの話をするのでもない。ただ、静かに自分と自分の過去と向き合う一人の男を成歩堂は見つめていた。

「それでも、ここに立って父と向き合えたのは、キミが15年前の真実を見つけてくれ、そして私に新たな道を示してくれたからなのだよ。だから。」

そこで初めて御剣は成歩堂を見つめた。
そしてゆっくりと微笑んだ。

「感謝をしている、成歩堂」
「どういたしまして」

御剣の言葉に、成歩堂も笑みを返す。
そんな御剣の表情を見ながら、成歩堂は自分の胸のうちに暗い優越感が広がるのを感じた。

本当は。
御剣から感謝の言葉を言われる筋合いなど、成歩堂にはない。しかしその言葉をも成歩堂は笑顔で飲みこんでしまう。
はじめは、ただのエゴからだった。
全てが敵となり成歩堂を取り囲んだ学級裁判で、場の空気を圧倒的に切りさいた一つの声は、成歩堂の記憶に鮮明な光として焼付いていた。
その光が、失われようとしている。様々な噂や評判、それらすべてが成歩堂の胸の中に光る御剣という光を飲み込まんとしていた。それがどうしても許せなく、成歩堂は自分の目指していた道を全て投げ打ち、法曹界へと身を投げた。
自分の光が、失われること、ただそれだけを回避するために。自分の記憶に息づく大切な宝物を守るために。
今思えば自分の考えと行動は押しつけがましい自分のエゴだったと反省をする部分もある。
自己満足以外の何物でもないとすら思う。
そのエゴは確かに彼の悪夢を払ったのだろう。
しかし同時に彼の信念も、彼の行動の原動力であった憎悪も彼を支えてきた関係性も全てを成歩堂はへし折り、断ち切った。
それは御剣を苦しめた。一度、死を決意させてしまうほどに。
それでも、結果として自分が差し出した手が僅かでも彼の暗闇に差し込む光となれたのならば、衝動から全てを投げ打ったあの日々は無駄ではなかったのだとそう思えるのだった。
否、そう思いたい。そしてそのエゴを自分は飲み込んだまま抱え続けるのだ。彼を助けたかったという純粋な好意からの行動だったと。

そしてこれからも、きっと。

「帰るぞ」
「もういいの」
「いい、真宵くんたちが待っているだろう」
「いいんだよ真宵ちゃんたちは待たせておけば」
「そういうわけにはいかない、キミの事務所だ。キミが片づけるべきだろう」
「僕はトイレだけが綺麗だったらそれでいいんだけどなぁ。でもいいの、久しぶりのお墓参りだったんだろ」
「いい」

「また来ればいいのだからな」

そう不敵に、鮮やかに笑った御剣は。
あの成歩堂が憂慮した時の影をそこには湛えていない。
まだまだあの記憶の中の彼に比べてしまえばくすんでいるのかもしれなかったが、それでもそれは確かに彼の一歩で。
成歩堂は思わずつられて口角を持ち上げた。

「そうだね」

長い長い冬はまだまだ続く。
それでもどんなに厳しく寒い冬でもいつかは次の季節にたどり着くように。
いつか全ての闇が晴れて微笑む彼を見れる日まではともに歩んでいきたいとそう思う。
できることならばその先まで。



(お帰り、御剣)



最後まできっとこの黒い気持ちには蓋をしたまま。







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