黒い雲が晴れて。
そこに刺した光を。
その空の色を。
それらがもたらした世界の眩しさを。






降る、ひかり










電車の扉が開いた瞬間、柄にもなく走り出していた。
人波を縫うように階段を駆け上がっていく途中、先ほどの車内の暖かい空気とは打って変わって刺すような空気が成歩堂の頬を撫でていく。
いい大人が一段飛ばしで混雑した階段を駆け上がっていく姿に周囲から非難めいた視線が突き刺さる。
しかし、そんなことすらどうでもよくなるくらいに成歩堂の気は急いていた。
今日は、折角新調したスーツを着て、髪形をセットしたというのにきっといま、鏡に映る自分は無様な顔をしているに違いない。
証拠に汗で髪の幾筋かは頬に張り付いていたし、地下鉄に吹き込む風は酷く強い。
しかしそんなことはどうでもいいのだ。
成歩堂はコートの下に指を滑らせ、それでも左の胸にバッチが止まっていることだけを確かめた。
冷たい金属の感触が、指先に触れる。
それだけでいい、成歩堂は切れかけた息の下で笑みを描くと、速度をさらに上げる。

七年ぶりにかけた携帯電話の番号が変わっていなかったことが奇跡だと成歩堂は思っていた。

みぬきも法介も帰った後の真夜中の事務所で、成歩堂は何か月かの間ずっと連絡をするべきか迷った相手に電話をかけていた。
まるで、初恋の少女に電話をかけている中学生のように、携帯をずっと握りしめている自分に自嘲しながら。
たった一つボタンを押すだけの作業だというのに、寒さのためかはたまた緊張しているのか成歩堂の指先は震えていた。
7年間前、自分の驕りから引き起こしてしまった失敗と、助力への拒否のために別離を突き付けた相手。
きっと彼は全てを投げ打ってでも自分を助けてくれたに違いない、それでも成歩堂はそれを望まなかった。
あの日から、彼には会っていない。
それでも、彼には報告をしなくてはいけないと、そう思っていた。正確にはしたかったのだろう、自分自身が。
『成歩堂?』
永遠かと思うほどの7コール先に繋がった電話の先の男は、どこか驚いたような声音で電話に出た。
慌てて彼に挨拶もそこそこに、七年前の事件には決着がついたと早口で伝えた。
成歩堂の言葉が支離滅裂だったのだろう、彼は小さく、ふ、と短く息を吐いた。彼が笑ったのだとそう感じた瞬間、成歩堂はざわりと背筋が粟立つのを感じた。
正直、顔すらも記憶から遠のきかけていた、そんな彼が。
その声が、その言葉が。手の冷たさや、抱き締めたからだの感触や、細められる瞳や。
こんなにも克明に覚えている、その事実に狼狽するくらいに。
記憶が洪水のように押し寄せて成歩堂を飲み込んだのだった。

まるで、隣に立っているように。
法廷で向かい合って立っていた時のように。
もっと言えば、至近距離で見つめあった時のように。

時間くらい聞いておけばよかった。

正面の建物の向こうに夕日が沈もうとしているのを尻目に、地下鉄から空港への陸橋を駆け抜ける。
近代的で白を基調に作られたスタイリッシュな建物は、オレンジ色に焼かれ美しく輝いている。
普段なら、あの少女や、助手の青年が喜ぶのを隣で眺めるのだろうし、あの少女のために携帯でこの風景を撮影するところだったが今そんな余裕は成歩堂にはない。
国際ターミナル、その看板を確認すると、縺れそうになる足を叱咤し、右の方へと折れた。
自動ドアが開き、滑り込んだ空港の到着ロビーのエントランスに人が溢れているのを認めると、思わず成歩堂は足を止めた。
これだけの人間の中から、果たして自分は彼を見つけられるのだろうか。
色とりどりのコートがはためくなか、今が冬であることを成歩堂は唐突に思い出す。
あの存在感のある赤、それがコートの中に隠されている可能性を成歩堂はまったく考えていなかったのだ。
いや、もっと言えば今彼が赤いスーツを着ている保証だってない。七年もたっているのだ。彼が五年間あのスタイルを貫いたからと言ってそのあとの七年も同じだなんて誰が言い切れるというのだろうか。

しかし、日が暮れるまでは待ってみよう。
勢いだけで出てきてしまった自分に苦笑しながら断続的に人を吐き出す到着ロビーの真ん中、全体を見通せる場所を探そうと空港のロビーを横切る。

と、成歩堂の視界に一人の男の姿がはっきりと写る。
到着カウンターから大きな荷物を引きずって現れたすっきりとした上質な黒のコートをきた男はすらりと背筋を伸ばし颯爽と人並みのなかを抜けていく。
きっちりとセットされた髪、眉間に刻まれた皺、真実を探り、法の矛盾と戦い続けている険しそうな瞳。
あまりにも明瞭に周囲から切り離された姿に成歩堂は、ああ御剣だと唐突に理解した。
七年ぶりに見たに関わらず、そう確信できるほどにそれは間違いなく御剣だった。
そして同時に成歩堂の胸は強く締め付けられる。
こんなにはっきりとわかる、それほどに御剣は成歩堂にとってどうしようもなく大切だったのだ。
そう、あの22年前からずっと。
何で自分はこの男と七年も離れていることができたのだろうか。
こんなにも自分を惹きつけてやまない、その人を。

成歩堂は気が付けばまた走り出していた。
肩がぶつかった女性が、成歩堂を怪訝そうに睨んだが今は何も考えられない。
目の前に、彼がいる。
橙の光が、御剣の左頬を染めている。


手を伸ばす。
手がもうすぐ、届く、そう、そしてもう二度と離さない。
それこそ永遠に。





七年がいま繋がる。








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