続く明日へと。
真実への道筋を。




橋を架ける






「みつる…ぎ?」

声に、事件の資料から視線を上げれば、困惑した表情の男と目があった。
普段は強い意志と、まっすぐな決意を向けてくるその双眸は、今は不安と困惑、そして体調不良から弱さを映している。
しかし、そうはいっても弁護士としてのまっすぐな思いや、意志は折れたわけではないらしい。それに少なからず安堵する。

「どうしてお前ここに?」
「どうやら生きていたようだな成歩堂」
「いや、お前外国にいるんじゃ…」
「キミの傍迷惑な友達に呼び出されたのだ、キミが死ぬだの死んだだの電話口で喚かれてな」

何回鳴らされたか判然としないくらいに繰り返し鳴らされた友人からの電話に、御剣はたたき起こされた。
もっとも、眠っているときでよかったと今では思う。
もし法廷に立っていたときだったら、自分はここに駆けつけることはできなかったに違いない。
しかし、結局彼は生きているのだから、ここまで必死に駆けつける必要があったのかは今になっては疑問が残るところだった。
御剣の言葉に成歩堂は驚いたように目を見開き、そして笑った。

「お前が、僕のために?」
「幼馴染の一大事と聞いて黙殺するほど薄情でもない」
「よく言うよ、僕からの手紙をずっと黙殺していたくせに?」

あーおかし。
一通り笑い終わると、しかし成歩堂は目を細め、優しく笑った。

「でも、お前が来てくれてよかった」
「そうか」

御剣は苦笑すると、立ち上がり、持っていた資料を成歩堂の方に差し出した。
ここまでの捜査の情報をまとめた捜査資料だった。
被害者の名前、被告人の名前。捜査の進行状況。現場の状況、それらが克明にしかしまだ捜査の余地が残るくらいには曖昧に記されている。
しかし、成歩堂は差し出された捜査資料を受け取らなかった。
行き場を失ったそれを、御剣はどうすればいいのかわからず、ただ呆然と立ち尽くす。
その代り、成歩堂はゆっくりと体を起こすと、右手の拳を、御剣に突き出した。

「御剣、これ」
「ム?」

突き出された右の拳に首を傾げると、成歩堂は深くため息をつき、左手で御剣の手首を掴み、手のひらを上へと向けさせた。
そしてそこに押し付けるように、何かを御剣の手に握らせる。
しばらく、成歩堂の熱い掌が、御剣の冷たい手を包んでいたが、やがてそれは離れた。
そしてそこに残されたのは、あやしげな勾玉と、弁護士バッチだった。
彼が、捜査の時に持ち歩いている勾玉。そして何よりも弁護士バッチは成歩堂が大切そうに、誇らしげに胸につける、それだった。

「な、成歩堂、どういうことだ」
「彼女を、よろしく頼む」

情けないくらい、動けないんだ。
力なく、成歩堂は笑った。

「一日で、いいんだ。僕の代わりに、裁判を長引かせてほしい」
「私に弁護士をしろというのか」
「お前にしか頼めないんだ」

僕の戦い方を誰よりも知っているお前にしか。

そういって、成歩堂は柔らかく微笑んだ。
その言葉に御剣は眉根を寄せた。
ずるい男だ。
そんな言葉で頼まれたら自分が断れないことくらい、わかっているはずだというのに。
御剣はため息をつき、成歩堂の言葉に頷く。

「承知した」

あやしく光る勾玉と、彼の大切な弁護士バッチをポケットにしまう。
成歩堂は安堵したように、息をつくと、ぐったりと目を閉じた。
話に聞いていた通り、まだ熱が高いらしい。じわりと滲んだ汗に反して、成歩堂の顔色は蒼白を通り越して青い。
橋から落ち、冷たい川の中で生死の境を彷徨ったという話を聞いたときは流石の御剣も血の気も引いたが同時に彼らしい、と笑ってしまった。
そういえば、一年前もこの男は風邪をひいていた気がする。
綾里真宵にうつされた、と憮然としていた。
もうあれから一年がたったのだと、唐突に御剣は思い出した。
そして、そんな馴染みの彼とも、思えば会うのは一年ぶりだった。幼馴染で親友。
…そして。

御剣は持っていた捜査資料を投げ出し、おもむろにベッドに手をつくと、成歩堂が喘ぐように酸素を取り入れようとしている唇に自分のを重ねた。
突然のことに、成歩堂は驚いたようにその両目を見開いた。しかし、御剣はそれを黙殺することに決める。
熱で浮かされている成歩堂の口内は熱く、そして鼻先を掠める呼気も熱い。
これは苦しいに違いないとは思うが、しかし、それで彼が生きていることを改めて実感し、そして心が落ち着くのを感じた。
存外俗物だ、と御剣は自嘲する。
あの傍迷惑な友人ほどではないが、彼の病状に少なからず自分は動揺していたらしい。
冷え切っていた指先にも熱が戻っていくような錯覚。これは、いうなれば自分は不安、だったのだろう。
彼に再会して、自分の存在価値が揺らいだあの瞬間から自分を蝕むようになったその感情、だった。

(しかし存外、悪くもない)

指先を、成歩堂の頬に滑らせる。知らない高い体温に、御剣の指先がじわりと温度を持つ。
と、そこまで特に反抗を見せなかった成歩堂の熱い掌が自分の肩を強引に掴む。
込められる力に御剣は一瞬だけ身構える。しかしいつもであったら、そのまま力任せに自分を布団やらに縫い付けて、体勢を入れ替えられるところだったが高熱に浮かされる成歩堂にはそれを実行するだけの余力はない。
御剣は弱々しく自分の肩を掴む成歩堂の腕を取ると、逆にそれをベッドに縫い付けてやった。
成歩堂の方も自分がいつもに比べてあまりにも力を使えないことに気が付いたらしい。慌てたようになんとか御剣の手の下から両手を抜き取ると、手を御剣に伸ばし強引に頬をつかみ、御剣を引きはがした。

「み、御剣!お、お前ずるいぞ!」
「何がずるいのだろうか?」
「僕が動けないからって!好き勝手しやがって!」
「私の仕事を増やした罰だ、甘んじて受けるがいい」

最後に唇を掠め、体を離せば、御剣の真紅のスーツの袖を、成歩堂の右手が掴んだ。
名残惜しそうに伸ばされた手。それを御剣は払いのけると鼻で笑い飛ばした。
完全に普段と立場が逆転した出来事に、弁護士は大仰に眉をしかめて見せる。

「僕が元気になったら、御剣、覚悟しとけよ」
「ふ、楽しみにしていよう」
「また勝手に海外研修に逃げるなよ」
「下らんことを言っている暇があったら、早く治したまえ」

もう一度、ポケットに手を入れ、託されたものを、取り出した。
片付けや掃除が苦手な彼の持ち物の中で、唯一綺麗に磨かれ手入れされているもの。
彼の誇り。その弁護士バッチを強く握りしめる。
太陽のような、ヒマワリのような文様は、彼の胸に輝くのがふさわしい。
まさに、その光に自分は救われたのだと御剣は思っている。
しかし、彼が臥せっている今、彼の代わりを務められるのは自分しかいないことを御剣はよく知っていた。
自分の闇をがむしゃらに払ってくれた彼と、今隣に立つことをその、意思を預かった。それは、自分への信頼以外に他ならないことを、御剣は自覚している。
共に真実を覆う闇を払わんことを。

「後は、私に任せてくれ。最高の舞台を整えておこう」
「ああ、頼りにしてる」

力なく笑う男が、彼女をなぜ助けたいのかは知らなかった、しかしそんなことはどうでもいい。
彼の相棒として、何かを任される、それで御剣は充足する。
それは恩返しとか、義理なのかもしれない、しかしそれだけでも確かにない。
それでも、それで十分だった、自分が進むための指針は。
焼きが回ったものだ、御剣は自嘲すると、病室の扉に手をかけた。

さて、橋を架けるとしようか。
真実へとたどり着くための、頑丈でまっすぐな橋を。




太陽のような彼が、迷わず渡れる、そんな橋を。




たった一日。されど永遠に。
胸にはどんな暗闇にも負けない、強い光が目の前を照らし出している。














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病院のシーンはロマン!!
(pixivより再掲)

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