薄皮を隔ててその向こう側にいるようだとその背中を見ながら私は思う。
手を伸ばしても、何かちょっとしたものにこの手が邪魔をされるようなそんな感覚。
簡単に言えばきっとそれは「らしくない」という漠然とした思い。





不在を教えているの






「なるほどくん、ただいまー」

裁判が終わり、従姉妹の少女を家に送り届けた後、事務所に戻ってきた。
それは、この数日寝る間を惜しんで働いていた我らが所長をねぎらってあげようと思ったからだった。
勝利のお祝いになけなしのお金でラーメンでも奢ってあげよう、まあ彼は勝利に対して喜ぶようなタイプではなかったけれど。

しかし、事務所に入った瞬間にその思惑は露ときえる。
それは、所長の成歩堂龍一が事務所のソファーで眠り込んでいたからだった。
眉間に皺を寄せて狭いソファーで眠る姿に、こんなんじゃとれる疲れも取れないんじゃないか、と思ったが、起こすのも忍びない。
しかたないなあ、私は床に投げ出された彼の鞄と今日の裁判の資料を手早く集めると、所長のデスクにそれらをきちんと整頓して重ねる。
と、そこに同じような書類の山がいくつも積まれているのに気が付いた。
片付けるのが苦手な彼はこういうものをいっこうに片付けない。
本当は片付けてしまいたかったが、さすがに所長の机に手を出すのは違う気がして触れられずにいたらこの様。
机の表面すら見えないその惨状にため息をつく、と同時にこれだけの事件を解決してきたんだなあ、そう感慨深い気分になった。

一番上に乗った資料の山、今日の裁判のことを思い出す。
いつも通りと言えばいつも通りな裁判だった。
彼は全力で依頼人を信じて、そして真実を法廷に引きずり出そうと躍起になっていた。
こじつけじゃないのか、そんな小さな証言の傷から彼は見事に裁判をひっくり返した。
検察側は苦虫を噛み潰したような表情をしていたし、傍聴人はざわめいていた。
しかし渦中のその人は冷や汗をかきながらも、凛としてその場所に立っていたのだった。

まっすぐと。

その姿は、被告人に無実をもたらした弁護士として正しい姿だった。
それでも私はどうしてもそこに違和を感じてしまう。
なぜだろう、そう、裁判中考えていてそしてたどり着いた結論。
それは、きっと、それはあの二回の裁判が、印象的だったから。
検事席に立つ、あの赤い検事。
彼に鋭く切り込み、被告人を有罪にしようと立ち向かってきた人。
ナイフのような切れ味。それに応戦する彼と。
御剣検事。
彼に応対するときの成歩堂龍一の顔は、いつもギラギラしていた。
そして、キラキラしていた。
大体が成歩堂の劣勢だったのには違いないのだけれど。

最大のライバルで、彼を弁護士への道へと駆り立てたその人は、ここ最近はめっきり検事席に現れていない。
その事を少し寂しく物足りなく思って退廷のとき検事席に視線を向けたとき、私は気がついてしまった。
私は彼が法廷を去る瞬間、さりげなく検事席に視線をやったのを。

(みつるぎ検事のこと、心配なんだね)

彼が言葉に出すことはなかったけれど、時々ふとした瞬間に彼があの検事の影を探しているのに気がついていた。
たとえば糸鋸刑事のとなりを。
検事席を。
法廷のなかを。
その事に何処か嬉しさを、そして寂しさを感じていた。
そして多分。嫉妬をしていた。

恋とかそういう生易しい感情とは違う。
もっと本能的にもっと根元的に、私は彼を思っていた。
それは自分をいつでも助けてくれるその人に対する感謝と、その力になりたいという強い思い。
彼が笑っていられるように。
ギラギラと、キラキラと法廷で戦えるように。
そのために霊媒師として修行に励んだのだけれど。
確かに彼の役にはたてるのだろうけれど。

(でもやっぱり、私はどこまでも助手なんだよねー)

彼は結局、人のためにしか頑張れない。
彼が信頼し、彼を心から頼る依頼人のために、心を鬼にして、身を粉にして。
そして、もう一人。
真実を、完全なる真実をこの世界に暴き出すための、パートナーをずっと彼は求めている。
あの日、15年前の真実を引きずり出したように、闇に埋没しそうなそれを一緒に掬い上げてくれる人を。
そしてそれは私とはできない。
私はあの場所で、彼のそばに佇む資格しか持たないのだから。
それならば私にできることは多分たったひとつ。

(帰ってきてくれるといいね、なるほどくん)

死んだとか、その名前を呼ぶなとかあなたはいうけれど。
そんな言葉が嘘だと私は知っている。
その言葉を誰よりも疑っていることを知っている。
彼が死んだかなんて簡単にわかる方法が側にあるのにその手段を使わないのだから。

私は、彼が眠る側にそっと寄り、しゃがみこんだ。
よほど疲れていたのだろう、上着をソファーにかけてネクタイをしめたまま眠り込んでいる姿に思わず笑ってしまった。
きっと夢のなかでも彼は戦っている、それは法廷と、かも知れなかったし、彼のなかに沈む葛藤と、かもしれなかった。
でもきっと、勝ってくれる、そう私は信じている。
私は、そっと彼の額に顔を寄せる。
そして多分、あの人が帰ってくるまで消えないだろうそこ、眉間のシワにそっと口付ける。
綾里家の術でもなく、小さな祈りをそこに込めて。

私は、そっと祈っている。
この小さな胸で、あなたの隣で、そっと。



あなたの心からの笑顔を。












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