傷を負えば塞げばいい。
流れたものは拭えばいい。
それはきっと、そんなに難しいことではないはずだから。





滲み出す色を持たない






(不謹慎って言われるんだろうっスけど)

綺麗に片づけられた執務室。
部屋の主がいなくなってからもう既に三か月ほどたってしまっていたが、糸鋸の日課は変わることがなかった。
毎朝、この執務室に来て、掃除をするという行為を誰もいないとわかっていても糸鋸はやめることができなかったのだった。
それは、ただ単に生活リズムを変えるのが嫌だったからというのもあるし、単にこの12階からの景色が好きだったからというのもある。
静謐な執務室は普段の刑事課の慌ただしい雰囲気とは一線を画されてるし、そして何よりもこの部屋の持ち主がいつ帰ってきてもいいように、そして会えるようにという願いも込められている。
御剣怜侍。
それはこの地方検事局きっての天才と呼ばれ、担当の刑事として数々の難事件を一緒に担当してきた、その人のためだった。
六つも下の若者に糸鋸はもちろん上司としての尊敬の念も感じているし、そして警察の捜査を信じ、被告人の有罪をもぎ取ってくれる姿に信頼も感じている。
しかしそれだけではもちろんない。
言ってみれば時に人生の先輩として、そして兄のような気持で彼のことを心配もしていたのだった。

(自分は、よかったと思ってしまったんすよね)

あの日、書置きを見つけたのもいつものように執務室の清掃に訪れた自分だった。
見慣れた綺麗な字で、簡潔に残されていた「検事 御剣怜侍は死を選ぶ」の言葉。
その書置きを目にした瞬間、確かにショックを受けた。彼が死んでしまうのではないかと、狼狽してしまった。
そして慌てて彼の友人の成歩堂に連絡を入れてしまった。
しかし、しばらくして「よかった」とも確かに思ったのだった。

きっときっかけはあの敗北と、自分の師匠が捕まってしまったことなのだろうことは糸鋸にも想像がついていた。
正義とは何か、検事とは何か。彼の依り代となっていたものがすべて崩壊してしまったからこそ彼は迷っている。
しかし、その迷いこそが彼の進歩なのだと、糸鋸は知っている。
きっと、かつての彼だったら敗北からも、師匠の逮捕からも何の影響も受けなかったに違いない。
彼を非難し、否定し、それでも向き合おうとした人の存在。それがきっと御剣にとって大きな意味を持っているのだろうと。

(検事は、きっと変わりたいと思っているんす)

取り乱して、必死になって。泣きそうになって、拗ねて。笑って。そんな御剣を見ることができるなんて夢にも思っていなかった。
4年間、自分ができなかったことをしてくれた彼を取り巻く人々に感謝をしながら、そして少し嫉妬もしながら。
あとは、ただ一つ。自分が一人で生きていないということを、他人を信じて生きていくことに気付いてくれればと。

(検事を心配するすべての人のために戻ってきてほしいっすよ)

帰ってきてくれたその時は。
美しく整頓された執務室で、「おかえり」といって迎えてあげたい。
きっと、生意気だと怒るのだろうけれど、それでいいと思っている。



主不在の王宮は、主の帰還を待ちわびている。











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お題から目に見えない傷と血をテーマに書こうと思っていたんですが、嘘くさくなりそうだったのでばっさり。
糸鋸さんはなんやかんやでお馬鹿なお兄さん、ってかんじで。
つうか、6歳も上なのかよ!びっくりだよ!!

material:Sky Ruins