※元親昏睡ネタ。


足の下であっけなく瓦解するは
己の生の信仰対象



模造品の神様





案内されたのは、離れの太陽のよく当たる一室だった。
いつも通される客間とは違う、鬼の住まいだった。
縁側からは男の好きな外界がよく見渡せた。
地平に大陸どころか島の一つすら見えぬ、空と海しか見えぬその景色は男が何度も何度も元就に話して聞かせた景色だ。
いつか支配するとさえいい切った、それである。
しばしその風景をじっと眺める。
抜ける潮風、日輪の香。
それはあの男が所有する全てだった。

戸をあけ、中にはいり、またそっとそれをしめると、外から入る日輪の光によって畳に格子模様が落ちた。
室の中はしんとした空気に包まれている。
簡素なつくりの部屋の中には一つ、床がしかれていた。
そこには一人の男が横たわっている、己のよく知る男だった。
隻眼の男だ、片目は欠損してそこにはない。
そして、もう一つの眼も今や固く閉じられている。
僅かに唇が開いている、微かに、呼吸音もする。
しかし何故か違うとわかった、この男は眠っているわけではない、不覚ながら寝ている姿は何度も目にしている。
元就は日輪を信仰してはいるが、霊魂や精神というようなものが存在するとは思っていない、しかしただ漠然とこの男を構成する一番核というべき様なそれが、眠っているのだと感じた。
何日も、ただ、じっと。

歩み寄り、そっとその傍らに腰をおろした。

身じろぎもしないのだろう、布団にもなんの乱れもなく、皺もよっていない。
しかし、左腕だけが、そこからはみ出している。
それはこの男が意識的に動かしたものではないことは元就にも察しがついた。
あの、この男に重責を負わせるだけ負わせる、そして同時にそれがこの男の存在を支える、部下たちが縋るのに握る腕なのだろう。
もしかしたら、この男は逃げているだけなのではないのだろうか、と元就は思う。
全てを無責任にこの男に押し付ける、国主という立場に、その重さに、その孤独に男が喘いでいることを元就は知っていた。
それを豪快に笑い飛ばすことによって己を支えていることも。
その支える糸が切れたのではないか、故に昏睡を演じ、そこから逃避しているだけなのではないかと、そう考える。
そして思いなおす、そう思いたいだけなのだろうと、己が。
混戦の中、名前も判らぬ雑兵に背後の僅かな隙を突かれたなど、前線で戦う男らしいとは思いつつも、その無様さが、無性に口惜しく、己に言い訳をしているだけだ。

元就は手を伸ばし、男の頬に触れた。
生気に満ちていた男の顔は、今どこか淀んでいる。
摂食できぬゆえであろう、少しこけた頬も、浮いた頬骨にも憐れみではなく、ただ酷い嫌悪感、それしか感じなかった。
深く息を吸うと、吐き捨てる、それがこの男に聞こえていないと判別できていた、それでも。

「似合わぬぞ、長曾我部」

くすんだ銀の髪。
湿気た消毒液の匂い。
覗く胸元から見える、幾重にも巻かれた布。
力なく投げ出された何処か痩せた腕。
無表情に、軽口すらたたかずに酸素だけを僅かに貪る唇。
乾いた肌も、固く閉じたまま開きそうにないその真実を暴く眼。
全てを背負う、広い背や胸が、地に臥している姿。
そして、なによりも。

その体全てで太陽を抱き込み、それを見せつける男から、その気配が全く感じられないことが。

抱かれれば潮と太陽が薫る。
触れられれば日だまりのように暖かい。
立ち上がればその銀は透き通る。
それなのに己にないものを堂々と、自慢げに見せつけ己の劣等感を誘うその要素が、完全に欠損している姿が、見ていて吐き気を催すほどに、そぐわない、と思う。

眼帯が外され、あらわになった個所に触れても何も反応を示さぬ男に元就は思わず、右手で視界を覆う。
それは泣いている姿を見せたくないという類ではない、元就は他人の為に流す涙など所有していない。
それはただ、男のこのような姿をもう見たくなかったのと、僅か脳裏に兆した記憶が由来した眩暈のためだった。


鬼と智将は、瀬戸内海を挟んで幾度か刃を交えたことがある。
今でこそ往来をする間柄であったが、初めは中国を食いつぶそうとする長曾我部と中国を守護しようとする毛利の間で幾度となく戦があった。
厳島、そこで事実上最後にお互いが刃を交えたとき、最後、お互いに怪我と武器をぶつけ合ったために生じた腕の痺れに、武器を持ち立っているのがやっとだったその時、男が呟いた。
周囲には血の匂い、硝煙、建造物の焦げた香。
不遜な態度、怜悧な視線、熱い殺気、冷たい殺気、それらが交錯する、その状況だった。
男は碇のような形状をした武器を天に掲げ、元就は飛ばされた兜の所為で頬にかかる髪に鬱陶しさを感じながらも、輪刀を構え、天に翳す。
我等は日輪の申し子、貴様らになど負けぬ、そういった後だった。

『あんたが、日輪の申し子だと?お天道さんがそんな狭量なもんか』

笑い飛ばすように、蔑むように男は笑った。
それに元就は深く眉根を寄せることで答えた。
そんな元就に男はにいと、笑顔を浮かべた。
太陽に透き通る銀の髪、それが天を仰ぐ。
喉が露になったそこに、何故か元就は剣を突き立てることができなかった。

『あんたが、日輪の申し子を名乗れるんだとしたら俺はお天道さんそのもんだろ、なあ違うか詭計智将毛利元就』

(何故あの時、あの野太い喉に刃を向けることができなんだか)

しかしそれは思考するまでもないことだった。
あの時、元就は僅かに笑った。
それは自嘲がふさわしい響きである、確かにあの男の吐いた言葉は正しかった。
それは、四国と中国を奪おうとする、豊臣を殲滅する為に簡単な同盟を組んだ後、数か月に一回通ってくる男を知れば知るほど強くなっていった確信だった。
毎日日輪を信仰し、祈りを捧げる自分より、あの男は日輪の恩恵を受けていた。
それに元就は、満たされ、同時にかき乱され、焦燥し、嫉妬し、そして焦がれた。
しかし今、己を愚弄した男は床に臥している。
己を日輪その物だと宣言した男は日陰の石よりももっと無機的なものとして存在している。
その姿に、果てしない嫌悪感が喚起される。
そして同時に、無性に、悲しかった。



「死ぬのならば、最後まで、我を愚弄し続けて逝け」



己を蔑み、己が嫉み、焦がれた、日輪を絵にかいたような男。
それが死に行くことにではなく、ただ、床の中で静かに冷たくなっていく様子に、中国の智将は、ただ。



修復することも叶わぬ、日輪の残骸。

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バトンで回答してから書きたかった話です。
ほぼ死ネタですいません。