※性描写とかはないですが、事前的な雰囲気。絶対駄目な確信がある人は窓を閉じてください。 末の露 額、瞼、頬、唇、首とを順番に、乾いた唇が触れる。 その儀式めいた行為に特に反発も見せず、元就はされるがままにしていた。 同時に触れる指先は優しく、何かを溶かすようにそこにある。 意識でも溶かすつもりか、はたまた意志か、あるいは誇りか。 判らない、しかし思考する意思すらない、ただ元就が感じるのはその指先が熱い、その事実だけである。 形をたどるように、その造形が崩れていないかを確認するかのように、何度も指先が、唇が肌に触れる。 障子の向こうには雪が降っている。 室の中に満ちる空気は元々申し訳程度についていた火の類を先程、すべて消してしまった所為で一層に冷たい。 元々体温の高くない元就にしてみれば、指や足の末梢はすっかりと冷え切ってしまう上に、冷えた肌に余計に触れる指先の温度の高さを知覚させられる。 そして何よりも弊害といえるのは雪灯りだった。 僅かな光をも光は反射させ、ぼんやりとではあったが、確かに室内にも光を齎し、いつも闇と同化しているものさえ、くっきりと闇から切り出されている。 元就は、あまり明るい中でこのような状況に堕ちることは好ましくないと思っている。 それは相手の表情を窺がうことができてしまうことでもあるが裏を返せば己の表情をはじめ全てを相手に曝してしまうからである。 故に元就は夜陰に溶けた部屋を好む。 しかし、明るいからこそ見えるものもあるのだということを元就は知っている。 元就は自身の冷たい指を男の顔へと伸ばした。 男はひやりとしたその感触に一瞬動きを止め、低くつめてえ、と非難を浴びせる。 それに構うな、と返し、元就は指先をその頬へと滑らせた。 眼帯の下の爛れた傷跡、いつもは闇に溶け、指先でしか触ることのないそれを、視線でも触れて行く。 赤黒く爛れた傷は確かに醜い、しかしそれこそがこの男を定義付けたものだと元就は知っている。 何度も確かめるようにそこを撫でてから、指先を頬へと下ろしていく、その次は首、肩、そこらをゆっくりと指先と視線で撫でて行く。 雪灯りで僅か夜陰に浮くその体には筋肉の所為で明るいところと影が、くっきりと描かれている。 そこに浮かぶ、ものに元就はいちいち指先を止める。 それは男の体に刻まれた、傷の一つ一つにであった。 普段は傷など判別できぬような闇の中でしかこの男の体に触れたりしない。 深く肌を傷つけたままになってる傷は指先でも判断することはできる、しかしただ肌に薄く跡だけをのこすものはこのような機会にしか見ることはない。 故にこのように目にするのは久しいことである。 また命を摩耗している。 元就が男の一つ一つの傷をじっくりと見聞しながら感じる感慨といえばそのようなものである。 過去のどの時点でこのようにこの男の体を見たかは定かではない。 それでも明らかにその時よりこの男に刻まれている傷の数は増えている。 男の部下たちが鎧をいくら作ってきても、そんなものをきたら身軽に暴れまわれねえじゃねえか、と豪快に笑い飛ばすのを元就は知っている。 また同時に、肌で、殺気や、闘志を感じるのを好む男であることも、死のやり取りの感触でさえ、そのように感じたいと思っている男だということも、十分に知っていた。 故に彼に傷が増えていることは当然といえば当然であり、不可抗力なのだということも。 そのことを元就は一度たりとて非難したことも否定したこともない。 元就は無駄を厭う。 傷を負うことに、ではない、そのどうしようもないことを非難することに、だ。 寧ろどちらかといえば好んでいる、その体に刻まれていく全ての傷を。 乾いた指で体を撫でて行く、 右のわき腹に手を這わした時だった、指先に感じる感触が、変わった。 見れば、そこの肌は大きく抉られたのだろう、赤黒く変色をし、ひきつったような跡になっていた。 何度か引っ掻くようにそこに触れながらこの傷が塞がるまでにどれ程かかったのだろうかと、思考する。 そしてこの傷を負って、塞がるまでの長い期間、この男が自分の知らぬ所で命を摩耗し続け、そしていまそれを越えここに生きているのだということを実感する。 「深いな」 そう呟けば、男は少し体を離し、自分の傷のあたりを元就の手を上から包むようにして右手で触れた。 そして、ああ、と肯定する。 「これは結構深かったな、一瞬臓腑がやられたかと思った」 「ほう、この傷で臓腑が傷付かなかったのだとすれば貴様相当運がいいな」 「おいおい、そこは俺の臓腑が傷付かなくてよかった、っていうべき場所だろうが可愛くねえな」 「ふん、貴様は臓腑を傷つけられたくらいでは死なぬだろう」 「お前は俺の臓腑まで触って確かめねえと気がすまねえのかい」 「愚劣な」 からからと楽しそうに笑う男に、元就は深く眉間に皺を刻んだ。 くすぐったいという非難を無視し、何度か傷跡を撫でてやる。 初めは元就のこの作業に軽口を叩いていた男だったが、神妙な元就の様子に最近は男もその意味を察し、されるがままにしていた。 それは、また違う形で男が同じことを確かめていると元就が察したのと同じ時期だったように思う。 どうでもいいところだけ、鋭い。 大方の見聞が済み、ため息一つと共に元就の手が床の上に落ちる。 「もう確認作業は済んだかい」 肌から離れた冷たい指の感触に男は口角をあげると、耳元でささやいた。 揶揄するような、それでもどこか真面目な口調に、元就はその男の銀髪を乱暴に掴み、顔をひきはがす、と同時に呟く。 「もうよい」 「そうかい」 男は不敵に笑うと、今度は乱暴に肩を押し付け噛みつくように呼吸を飲み込む。 脳髄を揺さぶるような感覚と触れる肌の熱。 これがこの男が、己の、また元就の生を見出す、その行為なのだと元就は知っていた。 故に、抵抗せず、ただ、されるがままに捨て置く。 それは男が己の確認作業に、抵抗を見せないのと同じ理由で、だ。 体で熱を感じて生存を確認するより、命を摩耗しているその証にその男の生を見出す。 そこに安らぎを見出す自分は、はたして歪んでいるのか。 考えるだけ無駄かと自嘲し、中国の智将は、ゆっくりと目を閉じた。 ++++++++++ 隘路と対になるお話、時系列的には隘路のあと。 傷を確かめる、って脱がなきゃ無理だなって思ってこの状況。 此処が限界。(いろいろと) 元親の右脇腹の赤いのはペイントなのか傷なのか、気になります。 |