まるで明けぬ夜を厭う、幼子のように。 月 隠遁の 有 機物 月光が忍び込んでいた。 畳の上を這うように月光は室内へと侵入し、舐めるように揺れている。 少し温度の下がった風はそのままに、ゆっくりと室内を徘徊し、温度を奪っていった。 ざらざらと不快な乾いた音を立てる闇に飲まれた庭先。 白々しいまでの鋭い月が漆黒の天幕でただ純然と輝いている。 それを元就はぼんやりと眺めていた。 なにもかもを暴くようなその無神経な白々とした光に、元就はいつも嫌悪感を覚える。 それは自分が敬愛する日輪と相対する物ゆえかも知れなかった、とにかく月の光が嫌いだった。 体を緩慢に起こし、傍に倒れている徳利にため息をついた。 最近は執務が忙しく大して睡眠もとっていなかった。 故に少量で十分に酒が回ったらしい。 いつもは酒に飲まれるような真似、酔いつぶれその場で寝てしまうなどということは皆無であった。 久しぶりだなとぼんやりと思考の纏まらぬ頭で思考し、そして月光を見上げ、再びため息をつく。 酔いつぶれるという無様な姿をさらしたことをいつもは気にする元就だったが、今宵は目が夜半に覚めたことに苛立った。 ―いっそ朝まで泥のように眠っておればいいものを。 しかし月光に焼かれ冴えた眼では再び睡眠に身をやつすことは不可能に思われる。 元就は三度、ため息をついた。 隣には男が寝ていた。 それは左目を失った男だった。 頑強で屈強な体躯、筋肉をまとっているようなその身体は自分がのぞんでも手に入らなかったそれだった。 それをこの男は惜しげもなく敵前に晒し、命のやり取りを楽しむ。 身体にはいくつかの擦過傷や、切り傷が跡になって刻まれている。 その表面にも月光は降り注いでいる。 銀色が、月光に光っている。 銀の髪一本一本まで深く照らし出す月光。 それを一瞬奇麗だと思い、次の瞬間そう思った自分を嫌悪した。 「元就」 ぼんやりと、月光に照らされている男を眺めていれば、その男から声がかかった。 何時の間に起きていたのだろうか、いつものそれなりの聡明な色を湛えた眼をしている、今起きたというような瞳ではない。 男はまっすぐと、隻眼で月を見やっている。 男の目にてる月光も、何かを暴かんとするようである。 なんとなしに、男の弱さがその奥から浮き上がってくるような気になり、元就は耳を塞いでしまおうかと思った。 しかし、それも億劫で、緩く首を振ってこたえる。 「どうでもいい話してもいいか」 「・・・・・・貴様が有益な話をしたことがあったようには我は思わぬ」 「茶化すなよ」 男は低く笑った。 しかしそこにも影が見える、月に深く刻まれた影が。 嫌いだと、元就は小さく口の中で、呟いた。 月光の下、呼吸をする生命体にすら月は無関心に庭に闇を作り出していく。 縫いとめるような深い闇だった。 男がじっと、言葉を飲み込み月を見上げている。 暫くそうしたあと、ゆっくりと息を抜いた。 「なあ、元就、俺達は似てるのかも知れねえな」 計算外の言葉に一瞬反応が遅れた。 しかしそんな事で取り乱す元就でもない。 心底下らないというようにため息をつき、言葉を紡ぐ。 「貴様と我が似ていると申すか、下らぬ、貴様と同じにするな、不快だ」 「俺達は何処か欠けている、なあ、そうだろ」 そう元就を黙殺したまま、いい、男は月を指差した。 その先にある月は、少し欠けている。 昨日だけ、完全なものとして存在したそれはすでに闇に蝕まれ、完全性が完全に欠落していた。 「かといって、独眼とも違う、奴みたいに欠けた部分を埋め合わせてくれる奴もいねえ」 時々鬼は、似つかわしくない台詞を吐いた。 それは本来の鬼の姿であるのだろうと時々元就は思った。 すこし、陰鬱な部分を持ったその鬼の姿は自分しか知らないのを元就は知っていた。 彼は祈るように人を殺す、自分の子孫の反映と、領地の展開とを、ただ。 そしてあのように多くの仲間に囲まれていても孤独を免れることはないのも知っていた。 背負うものの大きさが違えば必然としてそれに伴う責任も大きくなる。 さすれば背負おうものは、その大きさは、それの伴わせる悲しみは彼一人に膨大とのしかかるものだ。 しかしそれを誰に転嫁するすべもなく、ただ一人で抱え込む。 それでも、この男はその孤独を紛らわすように鬼であり、王であり続ける。 部下の、悲しいまでに実直な愛情を受け止めながらそれを失うのを恐れている。 だから、誓わせるのだろう、自分の下から去らぬようにと、生きてもどれと。 その言葉の愚かしさを、自分の性格を呪いながら。 「お前に一人だとか偉そうな口を叩きながら結局俺達は同じ穴の狢だったのかも知れねえな」 鬼は、弱音を吐いた自分を恥じるように自嘲した。 護ろうとして失った、左の目。 護ろうとして失った、人の心。 欠けた者同士が、何かを埋めるのを求めるように。 埋めた気になれるようにと。 「貴様と一緒にするでない」 かるく馬鹿にするように元就は微かに嘲笑を含ませ、呟く。 しかしそれはいつものようにけしてうまくはいかず、どこか空虚なものとなった。 知っていたのだ。 いくら傍にいても、それは所詮仮初のものであり、失ったものは欠けたものは二度と戻らぬことを。 埋めることなど、不可能であることを。 さすればこれは馴れ合いであろう。 何の意味も結果も齎さぬ唯の馴れ合いだ。 何も、得ず、何も失わない。 ただ、相手の失ったものの中に手を差し込んで、確かめるだけ。 なにも埋まらない、何も生まれない。 それは元就の最も嫌う無駄であった。 だから月が嫌いだった。 この関係が無駄だと言わんばかりの冷たい月の光が嫌いだった。 自分達は孤独だった。 知りたくもないことを知らされた。 故に動きが取れなくなった。 故にお互いを傍に置くようになった。 それを暴く月の光が嫌いだった。 全てを包んで莫大な量の光線と熱量で見たくないものを寧ろ隠してしまう日輪の光とは違う、最低限の光で物事の細部までくっきりと照らし出す月の光が嫌いだった。 その下ではどこか影を背負い、弱さを露呈させていく鬼が、そして自分が嫌いだった。 だから月を、夜を厭う。 父上や兄上もそうだったのかもしれぬと、珍しく故人に感慨をめぐらす。 だから人は酒を飲む、自分は鬼に身をまかす。 月光の下自分の作り上げた仮面がけして暴かれぬように、夜を回避するために。 ゆるり、鬼の腕が首に絡みついた。 後ろからずっしりと体重をかけられる。 己より、二回りほど大きな体の鬼が自分の肩に顔をうずめているのを感じた。 重いと小さく抗議したが、聞きいれられる様子もない。 元就は深くため息をついた。 「元就」 「五月蠅い」 「なあ元就」 「黙れ」 「俺は月が嫌いだ」 「・・・・・・奇遇だな、我もそう思っておったところだ」 白々しい。 冷酷無比の、真実を暴く光。 それを鬼の太い腕が、今、遮る。 静寂に満ちた城内に木のぶつかる、高い音が、響いた。 ああ、早く陽が登ればいい。 さすればすべて隠すことができるというのに。 己らの孤独も、お互いを傍に置く理由も。 はやく、はやくと、祈るように、一向に睡魔の訪れぬ目を曖昧に閉じながら、朝を待つ有機体が二つ。 月から隠遁し、朝待ち人となり果てる。 今宵はただ息をひそめて・・・。 +++++++++ 私だけが楽しい、瀬戸内。 たまにナーバスになって二人で傷を舐め合っていればいいよ。 お粗末さまでした。 |