※パラレルです。嫌いな方は窓を閉じてください。






飼 後




そして、今、元就は鬼を飼っている。

時々男は隔てた海を越え、この地へと足を運んでくる。
隆々とした体躯、そして快活で傲慢。

元就はこの男をあの夜の鬼であろうと解釈をしている。
銀色の髪、確認したことはないが左の眼をいつも躑躅色の布で隠している。
その下にはあの新月の夜の下、ぼんやりと浮かんでいた瞳があるのだと、そう思っている。
今眼前にある右目とは違う色で、闇夜でも鮮やかだったあの瞳が。

男は大きな腕で元就を静かに抱きしめる。
左の肩に元就の頭がくるようにし、大きな腕でしっかりと拘束する。
意図も何も知らなかった、とくに知る必要もない。
きっとこの男は喰うつもりだろう。
魂を、存在を、全て。

この男になら殺されてもよいと元就はただ思う。
この心の中をめぐる空虚を、戦国の世に生きる定めを、すべて消し去って欲しいのかもしれない。
家や国とかけ離れた部分でそのように思わせたのは他にあの鬼の若子だけであり、それ以外には思ったことのない感情だった。
ゆっくりと細い髪をすく仕草も、頭蓋を撫でる手も、自分の華奢な背をなでる手つきもそのうちに眠る魂を品定めする手段なのかもしれないと解釈をする。
確かめるように繰り返されるその作業に、いつも言葉が喉を突く。

「まだ死を怖いなどとは思いはせぬぞ、長曾我部」

その言葉に決まって男は苦笑する。
憐れむような、悲哀を含んだ表情で、笑う。
その表情はまぎれもなくあの夜注がれたものと相似である、そう元就は思う。
他のどんな人間が元就に向けることのない、ただこの男が、この男一人だけが向ける、その類の視線だ。

「お前はよくその言葉を口にするが、何か意味があるのか」

男の言葉を無視し、男の左肩に顔を乗せ、じっと動かないでいる。
晒された首筋に寄せられる頬、それは跡に当たる。
焦げ付くように嘗て痛んだそれはただ今は深く、肌に刻まれているだけだった。
肌の上を鮮血がはった感覚を今でもまざまざと思い出すことができる。
鬼に突き立てられた歯の鋭さ、そして残されたその歯型。
唯一それが鬼との邂逅を、言葉を、約束を現実世界に引き戻す媒介であった。

鬼は喰らいにくるといった。
死を疎んだ時に喰らうといった。
それでも良いと思うと同時に、されば一生喰われることはないのかもしれぬと思う。
今でさえ、生きることに特に執着を持っているわけではない。
家の為に、国の為に死んではならぬという義務を感じる。
同時に家の為なら、国の為なら今でも簡単に命を投げ出せる。
しかし、死にたくはないとは思わない。
幾ら領地を広げようとも、幾ら財産を勝ち取ろうとも、幾ら幾千何百の敵を切り捨て、そして仲間もを失おうとも、感じるのは義務だけであり、意志ではない。

そのことが少し哀しく、そして嬉しくもある。

この男は命を食い尽くすために傍にいるのに、そのために傍にいるがために一生その命を口にする事は叶わない。
自分がいくら望もうが、この鬼は今の自分を喰らうことはない。
お預けをくわされている男に対して酷く優越感を感じ、男が感じる屈辱を思えば愉悦が心の底辺に静かに広がる。
そして同時にこの男に殺される可能性は絶対的に皆無なのだと思えば絶望が足元にはい寄る。
酷く矛盾した醜い性格だ、そう一瞬思うがどうでもよい。
今更この歪んだ性格が変わるとも思えなかった、男に再び会いまみえることがなければ気付きもしなかったのだ。

「判らぬなら、よい」

嘲笑を含んで、呟く。
男は微かに笑い、なんだそれ、と呟いた。


自分が死を厭うことはこの先もありえないだろう、さすれば果たして鬼が痺れを切らすが先か、自分の命が果てるが先か。
そんなことを思いながら、智将は鬼の首に顔を埋めた。


自分を憐れみ、ただ傍に居続ける鬼、死を厭わぬ限り、傍に居続ける鬼、その所為で自分の死への感情を助長し続けると知ってか知らずか傍に居続ける鬼を。
こうして傍に置き、ただ。


飼い続けていく。



それがなんの感情に基づくものか、意志かすらも判然としない。
だが自分に視線を向け、それを憐れむだけの存在がいる。
その存在が、その熱が。


強いて言えばあるいは、理由とも言えるかも知れぬ、中国の智将はそう思った。