昨日までの荒天が嘘のように海は凪いでいた。
水面は太陽光を乱反射させ白く色を抜いている、そこを吹き渡り僅か水面を波立たせる風は太陽の香と潮の香を抱く。
雲は蒼天に一つとして散っておらず、水平線が世界をくっきりと区切っているのさえ確かに見渡すことができた。
穏やかな日だ、海も、空も、風も。

この男も。

波打ち際に小さな船が一艘とどまっている。
そこから砂浜に刻まれた十三歩の足跡の先、一人の人間が寝そべっている。
隆々とした筋肉は太陽を抱き込む。
その腕でいくつもの命を無に帰してきたくせに、男は酷く穏やかな表情をして空を仰いでいる。
いつもは嵐を背負って地上を蹂躙するような男だが、いまはまるでないだ海の様だと思う。
懐深く、全てを受け入れる、大海の様な。

凪いだ海。
輝く太陽。

歩を進め、男の傍へと行けば、男は隻眼を細め、毛利を見上げた。
それは国について語る時の饒舌さもなければ情熱さえ投影していない。
ほとんど見ることのない、ただの一人の人間としての表情を男は湛えている。
それは、毛利がほとんど目にしたことのない姿であり、自分が決して曝さぬ姿であった。

「珍しいな、長曾我部、今貴様がいる場所がどういう場所か分かっておろうな」
「ああ、わかっているさ」

最後に、お前の愛した海を見ておこうと思っただけだ。

そういうと男は体を起こし、上にひとつ伸びをした。
その拍子に、服や腕についていた砂がはらりと舞った。
それすら残さず太陽は照らし出す。

「戯言を」

毛利の言葉に男は曖昧に笑って答えた。
そうして、また海へと視線を戻し、僅かにその目を細める。

暫く、海風が抜けるのと、断続的に寄せては返す波を、眺めていた。
繰り返される音色、透明な水が白く泡立ち、白い砂に色をつけ、また去る。
そこに永久という時間繰り返されてきた営みを見る。
そんなものを手に入れようとあがいてきた自分の人生を、見る。
しかし止まれないのだとも、毛利は知っていた。

「人は変わるな、毛利」

ふと、唐突に男は笑った。
同じことを考えたのかもしれぬ、と一瞬考えたが、そうであって欲しくないという思いの方が強い。

「それは貴様のことか」
「互いに、だ」

「松寿丸、戦などなくなればいいのに」

幼いころの言葉を思い出す。
まだ己の運命など知らぬ自分の会話だった。
戦が嫌いだった。
幾万幾銭の人間の命を奪う戦が。
それに携わる人間を変えてしまうことが。
戦を憎んだ。
天下の為に戦を起こす人間を。
国の為と嘯いて戦を容認する人間を。

「戦を終わらせよう」

そう、約束をした。
その為に戦うことを容認した。
しかし何所からだろうか、その言葉を口実に戦を、繰り返すようになったのは。
はやく、太平の世を。
その先に待っている結果など知らなかった幼い日。
否、気付かないふりをしたのだろう、そして、来る結末。

と、ふと後ろから腕が回された。
一層強くなる潮の薫り、海、太陽。
この期に及んで、この鬼は甘い。
そんなことをしたって何も変わらぬというのに。
自分で選んだ結末を後悔することなど皆無であろうというのに。

「長曾我部」
「今だけだ」


「次会うときは、お前を殺す時だからな」


その言葉に、毛利は目を見張り、鬼の愚かさに僅か口角が上がる。


「何を言う、次会うときは我が貴様を殺すときぞ」


海は、凪いでいた。
圧倒的な質量を持って静かにそこにある。
幾千幾万の命を飲み込み、幾百幾千の海戦を経てもそれは確かに、静かな、美しい瀬戸内海の海だった。
海と調和し、海風を駆り生きてきた人間が今二人、その海を巡り戦おうとしている。
それでも海は、その戦の予感を感じさせ荷ほどに静かである。
命を飲んで見せるのか、飲まれるのか。
そもそもそんな算段があるのか否か。
それすら中国の智将と呼ばれる男に感じさせず、海は、ただ、漫然と。








束の行方



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瀬戸内。
あの二人、最終的には戦うしかないのではないかなと思っています。
二人で寄り添って生きていくなんて、自尊心が許しそうにない。


title群青三メートル手前