「ああ、このまま死なせてよ旦那」

もう幾度目か判らない土の感触を頬に感じながら佐助は自嘲した。 体の痛みは麻痺したのかあまり感じなかったが、歩く度に、何かが抜け落ちていく感覚につき纏われていた。
そして、平衡を失い倒れ込んだ時は、それらが大地に吸収されていくのが手に取るようにわかった。
どれくらいの傷の深さかは測らないことにしていた。
測ったらそこできっと自分は自分の命の残量を図り、簡単に自分で命を絶つことが分かっていたからだった。
そうだ、と佐助は思う。
こんなに傷を負って、暫く使い物にならない上に、今捕虜にでもされたら忍びでいる意味が全くない。
忍びは主の武器であって、足をひくものではないのだ。
便利以外の意味をもったらそれは既に忍びではなくなる。
そうなるくらいなら命を絶つのが正しいのだ。
それでも佐助は、歩いていた、転んでも何とか立ち上がる。
今も、力の入らない両腕を突っ張り、何とか地面から体を引きはがした。
ふらつく足を何とか踏ん張り、空を見上げれば弓張り月が出ていた。

(死なせて、よ、ってね)

血は既に靴までも濡らしていた。
その為にただでさえ踏ん張りのきかない足が、滑りそうに何度もなった。
そんな自分の満身創痍の姿に、そして弓張り月の下照らされている自分の色に、ふと佐助は一つの死体を思い出した。
死体を幾百幾千と積み上げる佐助にとってはわざわざ死体の様子を覚えていることなど皆無に等しい。
それでもそれは、佐助自身にすら意外なほど鮮明に記憶に刻まれているのである。
ある人物の表情とともに。

あの夜死んだのは、名も知らないような一人の家来だった。
あまり剣術のうまくなかった、はたから見ていていつか戦の中で死ぬかもしれぬと佐助が判断を下していた人だった。
あまり話したこともなかった、それでも精悍な顔つきをしていた、気持ちのいい青年だった。
彼が死んだのは彼の力不足でも幸村の責任でもなかったと今でも佐助は思っている。
戦況的に仕様がなかった、ただそれだけだった。
彼には時の運がなかった。
それでも、彼の命が散ったと知ったとき、幸村はその男を殺した人物に斬りかかっていった。
幸村だって仕様がないと頭では分かっていたに違いない、その判断ができないほど彼が理性的でない人間だとは佐助は思わない。
だが、彼は走った、佐助の制止を振り切り、敵陣へと、まっすぐに。
優しい人なのだと佐助は知っている、それでもその行動は一軍を率いるものとしては不適だった。
そしてそれよりも確かに佐助の網膜に残っているのは、敵の首級をその男のもとへと運んだ時、幸村が見せた表情だった。
彼らは主の為に死ぬのを全く厭わない存在であり、彼は自分の死に納得をしていなかったわけではないだろう。
それでも、幸村は酷く傷ついた表情を浮かべていた、痛そうな表情を、浮かべていた。
何かに耐える様に、強く唇を噛んで。
僅かに硝煙の漂う戦場で、一人俯いて、あのまっすぐで透明な眼で、彼はひとりの死を見つめていた。

(ねえ、旦那)

足元で、枝が爆ぜる音がし、その音に佐助は自嘲した。
視界の端は揺らぎ始めている、その為に枝の存在にすら気付けなかった。
このような深夜に立てるにしては不用心な音だったな、と佐助は思う。
それでも、佐助は今にも歩くことを放棄しそうな足を叱咤し、木に手を付きながら一歩ずつ歩を進めていた。
脳裏に浮かぶ赤に急きたてられる様に、ただ愚直に。

それはただ、あの人の笑顔を守るために。

道具である自分の為に、敵陣突破という危険な行為を幸村にして欲しくはない、それに何より、自分なんかの為にあんな表情を浮かべさせたくなかった。
彼への危険を払うものとして、道具として、それを阻止しなくてはいけない。
その為に、佐助は生きなくてはいけないと思っている。
なにより、それが佐助を歩かせる全てだった。
帰らなくてはいけなかった、何があっても、絶対に。
そして何より、あの男の笑顔を好んでいる自分に、忍び失格だと自覚しながらも、佐助は気付いているのだった。
勿論、荷物になる場合、簡単に佐助は自分の命を捨てる覚悟はある。
それでもできる限り自分が彼にあのような傷ついた表情を浮かべさせずにすむ存在でいれたら、と佐助は思う。
無理だとわかっている、それでもできれば、この世界に太平が訪れるその日まで。
相当焼きが回ったらしい、同郷のかすがは徹底的に自分の命を道具として奮っているというのに。

「佐助」

どこかで幸村が、呼んでいる。
その声に口角をあげると、「今いくよ、旦那」と、反転する空に佐助は笑った。








を動かせるもの



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真田主従。
本当はもっと道具に徹しようとする佐助と、理性では分かっていても佐助を死なせたくない真田が好き。

title群青三メートル手前