「卿は実に興味深いな」
城内の一室で、香炉をその手で撫でながら松永久秀は言葉を発した。
その手が触れる香炉は高名な作家に造らせたもので、とても高尚な色を湛えそこにある。
紫なのにそれは毒々しさも煽らなければ、情欲を煽る色でもない。
ただ、美しい紫が、そこにある。
対してそこに並ぶ光秀の香炉はそのような深い色を湛えていない。
それは光秀がいつか壊れる定めにあるそれに対して、高い金をかける情緒もないことに起因している。
使えればいい、役に立てばそれでよいと考えている。
「興味深い、何がですか」
「矛盾しているだろう、その戦略に思考回路、全く持って興味深い、否、面白い、の方が適当か」
久秀は傍にあった徳利を引きよせ、御猪口に酒を注いだ。
光秀が下戸なのは知っている、しかし飲まぬと知っても酒を飲まぬものに振舞いもしないのは男の流儀に反するらしい。
形骸的に、久秀は酒を注ぐと、光秀の前にもそれを置いた。
その中を光秀は覗きこんでみる。
琥珀の波の中、月が一つ、ゆらゆらと揺れていた。
久秀は勢いよくいっぱいを干すと、畳の上にそれを置いた、そして続ける。
「卿の取ろうとしている作戦は全く持って無価値だ、何故なら香炉とは突き詰めて言えば自己暗示他ならないのだよ、不死、そのような夢物語の概念がこの世に存在するとは言い難い、しかし甘美な香りと言葉を齎すことによって人々は自己暗示にかかる、この世のものではないような匂い、なるほど不死を齎すに違いない、とな」
「ええ、わかります」
「そして同時に敵も暗示にかかる、表層的にこのような思考には及ばないだろうが根源的な部分が応じるのだよ、これはなるほど不死を齎す香なのだろう、さすれば奴らは死なぬのかもしれぬ、とな。死なぬものは恐ろしい、そう感じる、しかし本当は自分たちもその香を感じているのだから己らも不死でなくてはならないとは思わない、その思考回路をも消し去るほどの恐怖を知覚させるそれが不死香炉の効能であろう?それにより味方は勇猛になり、敵は戦意を失う、故に破壊は効率的に命令通りになされる」
「そうですね」
「しかし腐食香炉は違うだろう、確かに敵に対して戦意をそぐ効果は期待できよう、あの不快感に満ちた香と言葉をもってすれば確かに己の防具が意味をもたぬものとして定義されるかも知れない、しかしそれは同時に味方側にも起こりうる、香りの性質上の問題もあるだろうがな、味方も己らの防具も意味をもたぬものとして感じるかもしれぬ、それによって策や破壊が計算通りになされるかといえば答えは否、それは採用すべき策ではない」
「まあ、貴方にしては珍しいことなのでしょうが、私に敵味方という概念は関係ないという前提をお忘れですか」
愉快そうに、しかし何所か怪訝そうに久秀は酒をもう一度注ぐ。
その様を見、光秀は低く笑った。
琥珀の液体の中に二つ、甘そうな月が浮く。
「簡単ですよ、久秀公」
「かんたん、ときたか、結構結構、よいだろう、続けたまえ」
「貴方は壊す過程、奪う過程を好まれる、私は壊される過程を、奪われる過程を好む、それが敵だろうが味方だろうが、です」
「ほう」
「どう美しく壊すか、ではないんですよ、どう美しく壊れるか、そこが私にとって執着すべき重要事項なのです」
わかりましたか?
そう首をかしげた光秀に久秀は下らなそうな視線を投げた。
「なるほど、尾張のうつけ殿を私は殺すことに美を見出し、貴公は死にゆくうつけ殿に美を見出す、そういうことだろう」
「ええ、そうです、流石久秀公ですね」
「だが」
そういうと久秀は畳の上にあった徳利を取り上げ一口で干す。
ふわりとかおった酒の香が空に四散したとき、久秀はもう一度言葉を継ぐ。
「そのうつけから見れば我らは同じことをしているように映るのであろう、そのうえ、己と同じことをしていると考える、あの男が美などを考えずにただ物質を壊すのと同じことだと、な」
下らない、あれは風情というものを知らぬ。
そう呟いた久秀の忌々しそうな顔に。
光秀は確かにそうですね、そう、肯定し、盃の中に浮かぶ月を舐めた。
私
にとっては同じこと
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香炉ーず!
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