※リハビリ兼ねてすれ違い夫婦



寂の婚礼




「長政様、痛くない・・・?」

細く長い、それでも冷たい指が長政の腕にゆっくりと触れる。
その指の温度に、改めて長政は戦が終わったことを自覚させられる。
幾多の英傑たちが、理の兵たちが漆黒の闇の中で沈黙に臥している。
そして自分がまた、手を汚したことに、そして、傍らで長政を気遣う女も同様に手を汚したことを改めて自覚させられる。
そしてそれを特徴付け、具現化しているのが女の格好だった。
それは女の着物にべっとりとついた黒い色の所為で在る。
そして傍らに転がった、女の振るう武器の所為であった。
残酷な形状をしたそれで女は躊躇なく命を駆り取る。
飛び散る血飛沫や、断末魔に、ごめんなさいと繰り返しながらそれでも正確に。
それでもその戦場に嫌悪せず、傍で戦い、このように長政に触れているその事実に、無性に長政は苛立った。

「長政様、市、長政様を護れなくて、ごめんなさい」

女は大切なものを扱う様に、そっと傷ついた長政の腕に頬を寄せる。
まだ血の止まらぬそれに女の白い肌が汚れる。
月光によって色の判別がつかない、それでも擦れたように黒い筋が月光の下でも青みを帯びるほどに白い女の頬に刻まれる。
血に触れることに躊躇すらしない女にもなぜか無性に、ただ長政は苛立った。
罵倒しようかと思ったが、今日の女の功績を思い、寸での所で口を噤む。
そして視線を外し、絞り出すようにして言葉を噤んだ。

「いい、貴様が謝ることではない、市、この布で肩を強く縛れ」
「はい」

怒鳴られなかったからだろうか、頼られたからだろうか、女は長政が手渡した布を少し嬉しそうに笑みを描きながら掴むとおずおずと不慣れな手つきで長政の腕を圧迫し始める。
痛くない?と何度も確認しながら、細い腕でそれでもゆるゆると確実に長政の腕を縛っていくその力に、さえ苛立つ。
しかし、その感情を長政は奥歯を強く噛み、痛みをこらえるふりをして耐えることしかできなかった。

夜闇の中嬉しそうにする妻を見ていると長政はいつも言葉を噤まざるをえない。
それは、唯一といって良い、陰鬱だが美しい妻が心底うれしそうに頬に笑みを描く、その時間だった。
本当は今すぐに腕を振り払い、あの物騒な武器を壊してしまいたかった。
嬉しそうに戦場に駆け付け、傍から離れぬ女の髪を引き掴み、ここは貴様の立つべき場所ではないと怒鳴りつけたかった。
そうしなかったのは、妻が笑うからだった。

娶った妻は魔王の妹だった。
死に慣れ、寧ろ好む女だった。
長政様、連れて行って?
そういって、微笑んだ妻に戦慄したのは、その武器の形状からではない。
その後ろに居る魔王とそう作られたその事実。
闇と血に彩られた、女はそう笑い、長政の傍に佇むのだ。
貴方の役に立つことが幸せで、その為に人を屠るのだと。

その妻が真に笑うのが戦場で長政の為に人を殺した時だと知ったのは何時だったか。

長政様できました。
ぴたりと血の止まった傷口に我に返り、礼を簡単に言うと妻は嬉しそうに俯いた。
その笑みにまた苛立ちが擡げる。
しかし長政はその苛立ちが自分に向かっていることもはっきりと自覚していた。
この状況を許容している、否、許容せざるをえない、そんな自分を。
お前は家で帰りを待っていてくれればいい。
お前の手を煩わせるほど自分は弱くない。
そんな建前ではどうしようもない、もっと根源的な理由で。

「市」
「何、長政様・・・ッ」

あいていた腕で妻を抱きしめる。
いきなりの行動に驚いたようにしていたが胸に顔を押し当てるようにすれば、幸せそうにすり寄ってくる。

「市、助かった」
「うん、長政のお役に立てて市、嬉しい」

そういって破顔する、妻に。
長政は自覚するのだ、自分の無力さを。
所詮、自分は戦場という場所以外で妻を笑わせることはできないことを。

「ねえ、長政様、また市を手伝わせてね、精一杯、長政様の為に頑張るから」
「・・・ああ」
「ありがとう、長政様、市、幸せ」

幸せ。
一般的な武家の妻が戦場から帰ってくる夫に安堵して感じる幸せを。
花を愛で、子供を育て笑う時の幸せを。
この妻には感じさせることも与えることすらもできぬ自分に、長政は不甲斐無い、そう、歯噛みする。


それでもただ、笑ってくれるのならば、と。


眠りについた戦場の片隅で寄り添う二人は皮肉か、ただの幸せそうな夫婦にしか見えなかった。



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浅井夫婦はこんな感じですれ違っているととてもいい。
むしろ長政が劣等感でどうしようもないと可愛い。