記憶が逆流するというのを光秀は時々実感として感じる。
ふとした瞬間、忘却の向こうへと押しやっていた事項が、何かが決壊したように自分の意識の上へと雪崩落ちてく瞬間がある。
その瞬間、光秀は酷く孤独感にさいなまれる。
それは、光秀の生涯においてほとんど、感じることのなかった感情だった。
刺すような気温の中、逃げ続けることを強制された状況。
凍ったように冷たく天頂に座していた、弓張り月。
気狂いの主人に従順につき従ってきた家臣が死んで傍から居なくなってもとくに感傷に浸ることはなかったが、織田にいたときの記憶が逆流してきたときだけは光秀はどうしても進むことができなくなった。
それは酷い喪失感であり絶望だった。
自分が愛した故に殺意まで抱かせた全てが全て欠落してしまった言う現実。
殺さなければ自分の精神は崩壊していたに違いない、それでも殺したが故に自分は孤独感にさいなまれている。
どっちが、正しかったのかの答えは出ない。
否、考えても無駄だった、いくら狂った自分とは言え、死んだものが帰らないことくらいは百も承知だった。

縁側から見える弓張り月を見ながら光秀はまた記憶の決壊が始まったことを自覚していた。
じわじわと押し寄せる、帰蝶の笑み、血、魔王、ああ、と光秀は自分にかかる重力を一層強く感じながら畳に背中から落ちる。
頭蓋が畳にあたり、鈍い音がしたが痛みは感じなかった。
闇へと落ちていく感覚、五感が閉ざされ、死者の世界へと沈む意識、記憶。
孤独だった、死者の世界で光秀はいつも孤独だった。
終わればいいのに、とも思う。しかし、彼らを殺して、その孤独に耐えきれず死ぬというのはいささか光秀の自尊心を傷つける感情だった。

と、光秀の意識が浮上する。
世界に色が戻る、死者の亡念から解放され、光秀は夜の現実へと帰ってくる。
それは、声だった。

「おい、光秀、お前また下らねえこと考えてたんじゃねえだろうな」

目を凝らせば独眼の竜が死神を見下ろしていた。
そう、この声だ、と光秀は思う。
生気に満ちたこの声だけが、光秀の孤独の世界を打ち消すことができる。
だから、光秀はこの男の傍にいるのだろう、そうでなければ、一瞬で闇の世界に囚われてしまっているに相違なかった。

「下らないこと、とは」
「昔のことだよ」
「まさか、人外の私が過去なんかに囚われるとお思いで」
「人外だろうが元は人間だろうが」
「あなたに言われたくないですね」
「Ha、いってろ」

そういうと竜は隣に座り、杯を傾けだした。
その竜の不器用さにこっそりと光秀は笑い、そして目を閉じた。
今度光秀のまぶたの裏を占めた漆黒には、死者の影はない。
それに満足し、光秀は意識を閉じた。

こどくをしったこどもは、こどくのこわさをしっている、だからわたしはあなたのとなりにいられるのでしょう。






どもにまもられたこどく