※信長にある意味執着する光秀と長政に執着する市、光としての政宗のお話。
※信長と長政死後、いつも通り薄暗い上に少し狂気じみてます。




狂人と人は笑うのだろうか
夢想と人は蔑むのだろうか
彼岸に住むは、死神と闇にめとられた女



は徒事と思いはしても




「長政様が、くれたの」

陰鬱な女はそう呟くと、僅かに表情を綻ばせた。
あまり光源の入らぬ締めきられた部屋の中で、それでも光の遠い部屋の隅に律儀に正座をしている女はそういう。
長政長政、その名前を何度か喉の奥で反芻し、それが誰であったかを尋ねることだけは回避をしておいた。
光秀は恐ろしいほどに、他人に対する興味はない。
唯一、興味があるといえば第六天魔王、そう呼ばれていた男に対してのみである。
思考の端に僅かに、魔王の名前が挙がったことから、ああ、と得心する。
あの男に殺された男の中にそんな男の名前があった気がする、と。

その陰鬱な女の手の中に、一輪の百合の花が、あった。

「奇麗でしょう、明智さま、長政様が、市にくれたの」
「それはそれは」
「奇麗な、白でしょう、長政様の色なの」

そういうと、女は歪んだ、それでも幸福そうな表情をして見せた。
しかし、罪悪感を覚えたのかそれはすぐに消える。
まるでそれは呪詛のようであった。
市の所為市の所為市の所為市の所為。
繰り返される文言に流石の光秀も閉口する。
気味が悪い、ではない、このような性質は寧ろ光秀にとっては好ましい性質である。
故に、襖に背を預け、じっと待つ。
待つのも得意とはしていない、しかし肌に触れるこの女の陰気、妖気、憎悪、そのような感情は小気味よいものである。
他のものと放置されれば光秀は数秒でその相手の首を掻き切るであろう確信がある、しかしこの女に対してはそのような衝動は湧き上がってこない。
呪詛がやめば、女は緩慢に腕を伸ばし、床の間にあった花瓶に手を添える。
ひやりとした感触に女は微かに笑みを表情に浮かべ、百合の花を質素な作りの花瓶に生けた。
この簡素な花瓶も、彼女の言う、浅井長政、彼の人が好んだものなのだろう。
あいにく光秀に、浅井長政彼の人は魔王とこの陰鬱な女の間で赤黒い血に塗れて息絶え絶えに正義が、と呟いていた僅かな記憶しか、ない。

「明智さま、長政様はね、とてもとても美しい人だったのよ」
「・・・そうですか」
「曇りひとつない、穢れひとつない真っ白なの、この花のように、本当にまっしろ、そしてとてもお優しかった、市といれば不幸になるって言ったら叱って下さったの、市、こんなにも罪深いのに」

細く華奢な指が、花の花弁を撫でた。
その指も血を知っている、魔王の嫁がその手を血で染めたと同様に。
すり、乾いた指と手折られたことにより徐々に水分を失い乾きつつある花弁が擦れ、音がする。
飽きずに女は、花弁に指を滑らせる。
すり、すり、繰り返し音が暗い部屋に反響する。
慈しむように、労わるように、それはきっと彼女があの男に触れた時の手つきと同じなのだろう、ただ優しく、切ない。
否、現世で触ることがあたわなかったのかもしれぬ、彼女の性質を鑑みればそれは妥当な推測だった。

すり、すりと、花弁を撫でる音がただ、暗い室内にはっきりと反響する。
そこに、彼女は男の肌を、存在を確かなものとして見出しているのだろうと思い、目を閉じる。
瑞々しさを欠いた百合の香が、噎せ返るほどに室内に満ちて行く。

「明智さま、ねえ明智さま」

はらりと、花弁が一片、宙を舞う。
それを思わず、視線で追い、床に達したのを確かめてからゆっくりと顔を上げた。
狂気に魅入られた女がまっすぐに光秀を見つめていた。
きな臭い臭いが、噎せ返るほどの百合の向こうから漂って来ていた。
僅か、赤すらが視界の端に、映る。

「兵士が、言うのよ明智さま、長政様から頂いたお花ばっかりみている私は、狂っているって、そういうの」
「そうですか」
「でもね、市、思うの、あのね・・・・・・・・・・・」



「いつまで寝てんだあんたは、折角奥州まで来たってのによ」



脇腹のあたりに足で蹴られる感覚を感じ、光秀は緩慢に瞼を持ち上げた。
絡みつく痛んだ銀糸の下から見上げれば青い男が不機嫌そうに、眉を寄せながら光秀を見下ろしていた。
そして四肢を弛緩させた光秀の傍に腰を下ろし、髪にそっと触れ、視界から銀糸を除去する。
光秀はしばらく視界に入る白い光と、青の対比に自分の置かれた状況を把握できずに暫くぼんやりと政宗を見つめている。
光秀の色の失せた肌からは健康状態を読み取ることは至難の業だといえる、それに今更気がついたように政宗は深く眉間に皺をよせ、具合でも悪いのか、と、呟いた。
今度は優しく頬に触れる温度をもった指先に、光秀はやっと現実との境界を感じ、大丈夫ですよ、そう呟いて体を起こした。

「珍しいな、あんたの寝覚めが悪いのは」

政宗にしな垂れかかる様に腕をまわし体重をかける光秀に政宗は言外に笑みをただよわせながら呟く。
首筋に頬を寄せれば熱が伝わる、光秀は現実への確信を強くする。

「少し、懐かしい夢を見ただけですよ、ご心配には及びません」

夢、ね、それこそ珍しいな、そう政宗が喉で笑うのが伝わる。
それに言葉を返さず、暫く確かめるように政宗の肩に顔を埋めていた。
が、不意に体から引きはがされたとおもえば、背中から畳に堕ちる。
ごつりと頭蓋と背骨が叩きつけられたと思えば、再び抱きすくめられる。
掛けられる体重と温度に、光秀が目を細めた時だった。

ふと視界の端に庭が見える。
太陽の光で白々とした世界、常緑樹の緑、青い空。
そこに、光秀は一輪の百合を認めた。
佇まいは質素で、頼りない、しかし存在を確かに主張する、百合の香。
それは先の夢か、はたして現実で成した会話だったか、女の言葉が蘇った。




『明智さま、狂人は、市じゃ無くて明智さまだと思うの』




女の手の中の百合からはらはらと散った花弁。
噎せ返るほどの百合の薫り、その向こうからは饐えた香。
血と、肉がやける匂い。


『ねえ、明智さま』


何度も柔らかい手つきで、その花弁を撫でていた手は、何を撫でていたのか。
自分が鎌を振り下ろす瞬間、その切っ先に見るのは誰の影か。
現と、幻の区別も既にない。
ただ、そこにあるのだ、だから仕方がない。
女が百合の花弁を男の肌と重ねて触れていたように。
同じように火を放つ、断末魔の叫びを聞く、肉と血、人間を構成する機構を全て焼く。
そこに男の影を見る、何度も何度も。
あの魔王と呼ばれた男を、その最期、あの恍惚とした瞬間を何度も何度も。
誰を殺したかではない、どのように殺してあの男を感じるか、それに終始するのだ。

『市と明智さまは、そっくり、ね』

女は憐れむように、そういった。
光秀はそんな自分を疎んでいるわけでも憐れむわけでもはない、寧ろ己らしいと思える。
だがしかし、夢想と現の境界の感覚すら曖昧になる、その時。
幽鬼、死神とさえ称される自分が果たして生きているのか死んでいるのか、現に生きるかはたまた夢想か、そう感じたその瞬間。


「ねえ、政宗公」


ただ、確かめる。
まだ、こちら側に居ることを。
あの日、全てが終わったことを。
即物的感覚でしか確信を得られぬ、己は。
息を合わせるように塞がれる呼吸器に。
合わさった唇、回される腕、そこから伝わる全ての温度に。
そこに現を見る、幻は消去される、鮮やかに、鮮やかすぎるほど鮮明に。


それが根源的な解決策にならぬことは承知の上だった。
それでも幻影さえ消し去ってくれればそれで構わない。
例え彼岸の住人の称されても、現実に生きているその間だけは。




故に全てを飲みこまんが如く、破竹の勢いを持って生きている男を求める。




庭先にさいている一輪の百合の花に象徴される幻を飲み込むは、奥州が竜、ただ一人。


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市と長政の百合に象徴された関係を見て以来どうしても書きたかった光秀です。
二人はそっくりだと思います、だから光秀は市に優しくかまってあげていたんではないでしょうか。
魔王が死んでも光秀は感覚的に魔王を求めていて、長政が死んでも市は感覚的に長政を求めているんだと思います。

今度は純粋に光秀と政宗が絡んでいるお話を書きたいです。毎度毎度すいません。

Title////アルファイド