幽鬼


銀色の髪が畳の上に広がっていた。
開け放たれていた襖からは月光が忍び込み、床で静かに揺れている。
その中で己の下にいるその男はゆったりと目を細めて笑っている。
上背のある痩躯。
身長も肩幅もの己は敵わないだろう。
しかしその質量は自分のよりはるかに少ないに違いない。
無駄なものは何一つその肉体に所有せず、要るのではないのかと思う筋肉さえそこには見ることも叶わない。
それであのような大鎌を振り回すのだ。
まさに幽鬼のようだと呟いたのは側近の男だったと政宗はふと思い出す。
まじまじと確かめるように見つめれば確かにその形容は正しいと思う。
そう思わせるほどの蒼白の顔面。
そして血の通っているのか疑いたくなるほどの白く冷たい手。

男はつかみ所のない人間だった。
ある意味その行動さえもは幽鬼のようであるともいえる。
何の前触れもなく現われ、何も残さずに帰っていく。

ぼんやりとそんなことに思考を巡らしていると、首に、氷のような冷たいものが触れた。
それは男の指であった。
その手は細く、薄かったが男性特有の頑強さを確かに兼ね備えてはいる。
それがゆるりと己の首に絡み付く。
それは爬虫類をおもわせる、その動きである。
その指にゆっくりと力が込められる。

「CRAZY」

ゆっくりと彼は笑う。
唇の間から赤い舌が見えた。
それも蛇のようだと思う。
ゆったりとその双眸も細められる。
意味も知らないくせに、彼は尋ねもしない。
どんな賛美も中傷も彼には何の意味も成さないのだろう。
証拠に彼はただ戯れに命を玩ぶ。
ただそのために、ここにいる。

するすると締められる首にも彼の指からは温度を感じることは出来なかった。
爪が、肌に突き刺さるのを感じる。
漠然と、こんな手でよく鎌を振るうものだと場違いに感心した。
この体勢では力が込められないと感じたのだろうか、彼は緩慢な動きで体を起こすと、そのまま政宗を床へ押し倒した。
そして緩慢な動きでその上に跨ぎ、更に首を絞めていく。
ゆっくりと閉ざされていく血流に、喉の辺りで心臓が波打つ。
銀の髪は徐々に彼の肩から落ち、その顔を隠していく。
しかしその下にある表情には歪みがあり、政宗はそれを見て笑っているのだと判断する。
段々と力を増していくそれに、遂に気管支までも犯され、喉からは乾いた息しか出なくなる。
喘ぐように呼吸をする自分を見下ろす男は一瞬、虚を突かれた表情を浮かべ、それでも再び笑みを浮かべた。
恍惚に歪んでいる表情からこの男がこの状況に興奮しているのが眼に取れた。
しかし、眼の輝きもいつものように静かであるし、頬は蒼白なままで僅かにも紅潮しているわけでもない。
自分は幽鬼に呪い殺されているのではないか、そういうくだらない妄念が政宗の酸素の欠乏しかけた脳裏に浮かぶ。

ああ、そうだ、第六天魔王にこの男は殺されているのかもしれない。

腕を伸ばし、髪に隠れた首に触れた。
そこには確かに熱があったが、それが自分の指先に宿るものなのか、彼の身体に流れる血流が齎すものなのかは判然としなかった。
肉の付いていない細い首は肌のうえから触れるだけでその中に閉じ込められている器官の形状もなんと無しに感じられるほどだった。
指を折り、ゆっくりとその首を絞めていく。
彼が逃れようとしたのを見、左手も序に伸ばし、その首を掴んだ。
それでも尚逃れようと、身体をそらしたのに乗じて体を起こし、もう一度、男を畳に押し付けた。
頭蓋が畳に落ち、鈍い音がするのを政宗は聞いた。
銀色が畳の上に散る、さっきまで絡み付いていた蛇のような手が、床に落ちる。
その体の上に跨ぎ、更にひざを立て、男の首を絞めにかかった。
彼は蒼白な表情はそのままに、少し苦しそうな表情を浮かべ、同時に笑みを浮かべた。
喉からは情けない乾いた呼気だけが吐き出され、言葉にならぬ声を出す。
しかしその表情は恍惚としていた。
本当にこの男はこんなことで死ぬのだろうか、とこの期に及んで政宗は呆れた。
確かに苦しそうではある、しかしそこにはある種の余裕があり、あの殺されるものの持つ悲壮さが感じられなかった。

興が殺がれた気がし、政宗はその手を離した。
男は急に自由になった呼吸器に、どっとなだれ込んだ酸素に空咳を繰り返した。
苦しそうに体を折り咳き込む男に同情も感じられず、ただ演技かとそう思う。
自分が此処まで首を絞めた故の行為だろうことは容易に想像が付いた。
だがただそれが、どうも胡散臭かった。
体から降り、少しはなれたところに座った。

「死ぬかと思いましたよ」

呼吸が一段落したのだろう、男はゆっくりと体を起こし大きく息をついた。
俯いてる表情からは判然としなかったが男は笑っているのだろうと、漠然と思った。

「あんた、あんなもんじゃしなねえだろ」

第六天魔王でさえ、殺せなかったんだしな。

男はその名前に懐かしいですねと呟き、政宗にもうその気がないとわかると、ゆっくりと立ち上がった。
少し乱れたその着衣を引き摺るように、微かに衣擦れの音を引き摺り、男は縁側へと出た。
大きな満月が深く陰影を刻むその世界で、その白々しいまでの月光の下、風にその長い銀の髪が靡く。
その動きをなんともなしに眼で追った。
強い風が吹き彼の髪を乱す。
庭の木々がざわめき、静かに鳴いていた虫も一瞬その声を止めた。
月光が彼の首筋を照らし出す。
骨ばったその首の形状をなぞる様に月光がその肌を滑った。

そこに自分のつけた指の跡が残っているのが見えた。
白い肌に残る禍々しい赤黒い跡。
十の指の跡。

そこに及んで政宗はやっと幽鬼のようなこの男が血の通う人間だということを実感した。

「あんた生きてるんだな」


感慨深げに呟いた政宗に、光秀は振り返り、子供のような無邪気な、しかし、禍々しさを湛えた笑顔で笑って見せた。