打ち際




変化なく、ただ繰り返される波の営み。

瀬戸内にかかる雲も靄もなく、水平線まで見渡せる。
訓練中なのだろう、幾つか船も見えた。
潮風が鼻腔を擽る、緩く、暖かい風が届けるのは春である。
絡みつく細かい砂の上には足跡が刻まれている。
自分のより一回りは大きい。
波打ち際からはまだ遠い、延々とそれらは消えることなく、導くように刻まれていた。
持ち主は先刻ふらりと中国に訪れた男だ。
足跡の先に視線をやる。
燦然と輝く日輪の下、国主にしてはふさわしくない粗末な服装をした大柄な男がいる。
銀の髪、肩に掛けた臙脂色の服が風に靡いていた。

男は海を見遣っている、その表情は優しく、しかし酷く遠くを見遣っている。
海を見ているのか外界か、はたまた未来か、元就には判然としない。

「貴様、我が書類をよんでおる間に勝手に消えるな」
「あ?しょうがねえだろ、暇なんだからよ」
「誰が持ってきた書類だと思っておるのだ」

いえば思い当たったらしい、曖昧に男は笑みを象った。
ため息をついて散らすとまた男は海に視線を戻す。
男は海が好きだった。
常に海と生きてい、海で死ぬことを決めている。
それは波のように力強く、海風のように奔放で国を預かる身とは到底思えぬほどである。
同じ立場にあるはずなのにまるで違う立ち位置に元就は苛立つ。
しかし遠ざける術すら知らない。
打ち寄せる波のように気まぐれに現れ、塩水のように浸透した男はまた波が引くように去るだろう、そうただ言い聞かせる。

砂浜を波が這う。
黒く後を付け、また引いていく。
砂が少しそれに引きずられる。
水が細かい砂の中に染み込んだ後はなにもなかったのように元の色をしていた。
ただ繰り返される、単調。

自分も同じだろうかと元就は漠然と思う。
波が退いた後なにも連れ去られることもなく、何の痕跡さえ残されずに。
はじめて気付かせられた孤独、その名前。
また全てを。
口惜しい。
腹立たしい。
嘗てどう呼吸をしてたかさえすでに忘れてしまった。
この海の様な男の無遠慮な干渉に。

いつか去るのはわかっている。
しかしそれを排除することも引き止めることすら自分には出来はしまい。
この奔放な男を駒にすることも支配することも隷属することもできない。
だがせめて。

「長曾我部、まだ冷える、戻るぞ」
「そうかぁ、もう充分暖かいじゃねぇか」
「我が寒いのだ」

鬼の視線がこちらに向く。
海でも外海でも未来でもなく、その目に元就をうつす。
まだこの男は引かぬ、そう心の奥で安堵を覚えた。
まだ砂の上に這っている、残っている。

海ではなく、ここに。



そのように思う自分に呆れ、鬼に肩を抱き寄せられたその中で、鬼にわからぬように元就は自嘲気味に、笑った。