動物と武将シリーズ



物と武将ー毛利元就編




「モトチカ、オタカラ」

室の障子を引けば甲高い声がする。
ひらひらとしなやかな尾を引き連れ軽い羽の音をさせながら肩に止まる。
そして甲高い声で繰り返す。

「モトチカ、オタカラ」

元就はその様子にため息をつき、室を横切り、執務を執り行う為に机につき墨をする。
再び羽の音、目の前の書類がうず高く積まれたそのうえに声の持ち主は鎮座した。
黄色く美しい羽を持つそれはじっと元就を見つめる。
心を見透かすかのような深い色の瞳は鬼を彷彿とさせた。
しかし元就に鳥などという言葉の通じぬものと話をする趣味はない、言語は共通でもなかなか意志疎通のかなわぬ輩も只でさえ多く腹が立つというのに、鳥など語るにさえ落ちる。
故に元就は鳥を黙殺していた。
しかし鳥は元就の対応に気圧されるでも気後れするでもなくただ尊大な態度で、見守るかのような暖かな視線で元就を見つめている。

主において行かれたのかただ元就に慣れただけか。
美しい黄色の鸚鵡は甲高い声で鬼を呼ぶ。
その度に元就の脳裏にはあの奔放で尊大な鬼の姿が蘇り、苛立ちが募る。
しかし元就はこの男を彷彿させる鳥を追い出すこともできなかった。
優に二月は経過している、しかし鬼は現れない。
元就は毎日何十人といった人物に会い、膨大な文書と盟約、そして他地域の情勢を把握する。
多くの必要案件は文書にし、何度も確認をするが無駄なものはすぐに忘れる。
四国の情勢も大まかに把握はする、が、鬼自身については違う。
まして気まぐれで、勇猛故に無謀な男だ、いつ気まぐれで来ることがなくなり、死故に往来が絶えるともしれない。
確かなものがない以上、鬼を忘れるきらいがあった、それに鬼を必要以上に覚えておこうとすることは元就の自尊心を否が応でも傷つける。

時折鸚鵡が呟いた言葉に鬼の存在を喚起させられる、それが元就にとって丁度よい、距離感だった。

「モトチカ、オタカラ」

鸚鵡が呟く。
鬼が脳裏に閃く。
そこには苛立ちがある、しかし元就は緩く口元に歪みを描く。
手は止まらず、淀みはない、そして言葉もない。
ただ静寂だけがそこにはある。

静かに続く瞑想と幻影。


鸚鵡と中国の知将とが描く鬼。
その情景が鬼の描いたものだとはまだ、一羽と一人は、知らない。


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物と武将ー長曾我部元親編




まるであの狐のようだ、とその背を見ながら元親はふと思った。

安芸の城内、もうすでに慣れたその城の主の執務室。
そこからは奇麗に手入れされた庭が見え、微かに潮の香りが薫る。
季節ごとに様々に表情を変えるその庭は、確かに奇麗で、同時に氷の面と評される主への皮肉のようにも感じる。
その主と言えば、特に元親の存在に注意を払うでもなく、黙殺するでもなく、正しくは無言で存在を許していた。

揺ぎ無く、なめらかに動く細い腕。
そのうえでゆらりと揺れる、細い髪のその色。
すらりとした体の線も全て、昨夜城内に迷い込んだ狐を彷彿とさせる。
丁度目がふと冴え、縁側にふらりと出た時に月光の下佇んでいた、一頭の狐を。
警戒するように細められた瞳は、その鋭さはなるほどどこかで見たものだと思えばなんてことはない、自分が思慕するその人と似たものだったのだ。
野生のものであるはずなのにその毛並みは美しく、表面には月光が波打っていた。
低く、唸るように鳴らされた喉には威圧感があり、何物をも寄せ付けぬそのような色があった。
しかし元親は笑みを零し、どっかりと縁側に腰を下ろすと、その狐を呼び寄せたのだった。

「して、長曾我部」

いきなり室内に凛、と響いた声に元親は反射的に顔をあげる。
すれば目の前に、元就の顔があった。
じっと、深く見つめるその瞳は何かを見ているようで見ていない。
というのは視線が絡まない。
人を見るのではなく何所か物を勘定するような視線に、元親は苦笑した。
愛嬌がない、あの狐は最終的に元親の膝でゆったりと目を閉じ眠ったというのに。
そんな元親の思考など知ったことではないのだろう、元就は徐に手を伸ばすと元親の左目に手をあてた。
ひやりとした指先は暖かくなってきた季節と言えども相変わらずで体の中に氷でも飼っているのかと言いたくなるほどだ。
ただ、不摂生が祟っているだけかもしれぬが、とも付け加える。
指先はゆっくりと元親の左頬を、そして額までを動いてからあっけなく離れた。
その指先の動きもただものを触るだけのようだ。

「貴様眼帯はどうした」
「ないと迷惑か」
「我は構わぬが、いつも隠しておるから見られるのが厭なのだと思っておったわ」
「別に俺はあれだが、醜いだろうが」

元親の左眼には額から頬にかけて深く、傷が残っている。
少し爛れたようにもなっているその傷はお世辞にも美しいとはいえない。
当然毛利の家臣たちも今日眼帯をせずに現れた西海の鬼に驚いたような、忌避するような視線を寄こしてきた。
それを別の元親はもう鬱陶しくは思わなかった。
しかし、わざわざ周りをそのような思いにする必要もないだろうと、いつもは眼帯をかけている。
剥き出しの傷は確かに醜い。

「まあ、醜いだろうな」
「はっきり言うなあんた」
「して、今日はどのような心境の変化だ」
「は、今日は妙に絡むじゃねえか」
「五月蠅い、質問に答えよ」


「想い人にやった」


笑顔を浮かべ簡潔に答えた元親に元就は一瞬面くらったような表情を浮かべ、呆れたようにため息をついた。

「想い人がおるならこんなところに来るな鬱陶しい」
「鬱陶しいはねえだろうが」

元親の最後の言葉は元就に軽く黙殺された。
軽く衣擦れの音を引きずり元就は机につき、また何事もなかったかのように執務に戻る。
流麗な文字を刻む指先、墨の薫り。
そっけないその人に元親はため息をつき、畳に仰向けに寝そべった。
ねだるように、手を延ばされた。
小さな手が眼帯を引っ掻いた。
だからやった、それだけだ。
その狐が、どこか元就を彷彿とさせた、だからやっただけだった。
すれば、くう、とその喉を鳴らし、眼帯を引きずったまま、夜の山へとそれは消えた。
別に笑顔なんぞ見せずとも。
礼の一つさえそこにはなくとも。
元就に求められれば元親は全てを捧げるだろう予感がある。
眼帯一つと言わず、腕も、足も。
残った右目でさえも、捧げるだろう予感がある。
しかし、この男が元親を求めることは永劫にないだろうことも元親は知っている。
だから、やったのだ、あの狐に。
命はくれてやれぬども、せめて眼帯の布一枚でもと。
けして、自分は元就に何も差し出すことも許されないのだから。
せめて代わりにと。

お前にだったら何でもやってもいい。

そう、いってやろうかと元親は一瞬だけ思う。
そう、一瞬だけだ。
すぐにその言葉は元就の重荷の一つへと変質するだろうことを思い、元親はただ曖昧に笑った。


全く難儀なもんだぜ、なあ、狐。


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物と武将ー伊達政宗編




室で六爪を手入れしている時だった。

ギャーギャー。

鋭い鳴き声が闇を切り裂いた。
手の中にあった六爪を床に落とし、足早に縁側に出る。
勢いよく、障子を開けはなった先、闇に沈んだ庭の片隅。
そこには闇を何重にも塗りこんだような、漆黒の鴉が佇んでいた。
月光がその黒を一層に強調し、鴉は飛び立つ様子もなく、ただそこにいる。
体は普通のものよりいくらか大きいが、どこか貧相に見える。
足のつめはどこかその体にそぐわなく、大きく鋭い、そしてそこには猫が強くつかまれている。
地面に小さく血の池が見える、どうやらこの鴉は自分より大きな猫を狩ったらしい。
その姿を見、微かに笑った政宗をじっと、闇に浮かぶ瞳が見つめていた。

「よくやったじゃねえか、鴉の分際でこんなBigな猫をしとめるとはよ」

鴉は答えない。
その様子に満足したかのように、政宗は続ける。

「お前の主はどうだったんだ」

鴉は答えない。
動きもせず、足もとで動かなくなった猫にさえ興味がなさそうである。
食べるため、というよりかは殺すことを目的に殺したといわんばかりの姿に。
政宗はある人の影を見た。
銀の色をした髪を風に流して、そして笑う悲しい人を。
殺すことが愛の発露だと、そう信じてやまない人を。
眼をとじ、息を抜く。
そしてもう一度目をあけ、鴉をじっと見据えた。

「ちゃんと、魔王のおっさん、殺したか」

お前みたいに。
そう、政宗がいったとき、ようやく鋭い声音が空間を裂いた。
空を仰ぎ、鋭い声は月の輝く空へと吸い込まれていった。
その声に、政宗は不敵に笑い、踵を返した。
室に入り、刀を抜く。
ぎらりと、室の蝋燭の火にそれは閃き、光を弾いた。

『天下なんていらないんですけれどねぇ』
『贅沢なこと言うなよ、魔王さんをころしゃ、この天下はお前のもんなんだぜ?』
『そうですけど、信長公を殺したい気持ちはあっても天下を欲しい気持ちはないんですよ』
『は、とことんCrazyなやつだよなお前は』
『それならさしあげますよ、天下を』

だから、一番に殺しにきてくださいね、政宗公・・・。


「ああ、俺が殺してやるよ」

青い甲冑で全身を固めた独眼竜は。
庭先の鴉が見上げる月をじっと見上げた。
この続く空の下、あの哀しい人は。
殺意が最上の愛情表現だと信じてやまないあの人は。
果たして笑っているのか、泣いているのか。
しかし間違いがないのは、待っているというその事実。
殺されるのをか、殺すのをか。
それは定かでないが、ただあの人は月を見上げて待っている。
銀の髪を、風に靡かせ、月光に照らされ、まっているのだろう、ただ只管に。
されば、あの人に殺意を突き付けるのははたして自分であってほしい。
そう、ただ思う。



「待ってろ死神」