それだけ大事なんだって、わかってる?




鬼の目から涙









肩を掴まれた、そう思った次の瞬間には天井が見えた。
そして、遅れて背中が畳にたたき付けられる。その衝撃で体中に走った傷の鈍い痛みが全身を巡り、思わず幸村はl呻き声を漏らした。
いったい何が起きたのか。視線を巡らせればさっきまで自分の手当てを行っていた女中たちが呆然と手で口を押さえたまま幸村を見つめていた。
否、幸村のことを見つめているのではない。
それでは誰を。
そう思った瞬間に幸村の視界がにわかに陰る。
そして、だん、と幸村の両耳の傍に手甲を付けた手が、叩きつけられた。
目の前にちらつく、赤みがかった茶色の髪。
それを見た瞬間、幸村のは本能的に、まずい、と思った。
恐る恐る幸村が視線を上げると幸村の顔の横に手をついて、半分圧し掛かるようにして幸村のことを睨みつけている男が視界いっぱいに広がった。
自然に同化しやすいように茶と緑で織られた服。
頬に入った模様。
それはいつもへらへらとした笑みを浮かべている癖に、有事の際は誰よりも厳しい幸村の一番にして絶対の懐刀の忍である猿飛佐助その人だった。

「佐助」

罵声か、呆れた声か。
そのどっちかがくると思い、幸村は目をぎゅ、とつむった。
心当たりはある。
進軍途上、突如現れた敵兵に武田軍は崩れかけていた。その時佐助が敵を払いながら幸村を背中に庇い、大将は死んではいけない、早く撤退しろとそう告げた。
それにわかったと、幸村は一度撤退を仕掛けたのだが、自軍の兵たちがバタバタなぎ倒されていく状態に、いてもたってもいられず馬首を戦場の方に返したのだった。
そこからのことはよく覚えていない。
気がついたら敵兵はいなくなっており、幸村は返り血と自分の怪我で血だらけになって戦場に立っていた。
そして武田の兵士がうまく落ち延び、そして被害が最低限で済んだことに安堵し、意識を手放したのだった。
だが、結果としてうまくいったからよかったものの、自分が行ったことは国の主という立場からすると間違った行為であったことは否めない。
甲斐武田の存続のため、本当であれば撤退をすべきであった。一歩間違えたら死んでもおかしくない場面だったのだから。
さて、今日はどっちだろうか。
むしろ拳骨で殴られるかもしれぬ。
そう思った時だった。

ぽた、と熱い雫が幸村の?に落ちた。

想定していたのと違う展開に幸村が驚き目を開ける前、ぽす、と胸の辺りに重さを感じた。
見れば佐助が幸村の胸に顔を埋めていた。
そして、小さく、生きててくれてよかった、とそう呟く。
その佐助の声がわずかに震えていて、また今までこんな行動をとったことのない佐助の初めての行動に幸村は何が起きているのかわからずただ呆然とすることしかできない。

「さ、さす、け?」
「・・・・・」
「どうしたのだ、急に」
「ねえ、大将。ほんと、今日みたいなこと心臓に悪いからやめてよ。俺様、あんな混線している戦場にまさか大将が戻ってると思わなくて、肝を潰したよ」
「・・・すまない」
「それにさ、主人を助けられず亡くした忍びほど惨めなものってないんだから。この俺様の命を使い切るまで危ないことはしないって約束して」
「わかった。約束する」

「だから、泣くな」

幸村の言葉に佐助は素早く体を起こした。
そして慌てたように袖で目元を強引に拭うと、泣いてないよ!と顔を背ける。
幸村は佐助の目が、そして色がひいてあり分かりにくいが少し鼻先が赤くなっているを認めたがそれには触れずに、そうか、と笑った。

「なーに笑ってんの。反省してます?大将?」
「しておる」
「あっそ、ならいいけど」

はー全く、大将みたいな主人を持つと苦労するんですけど、佐助は呆れたように言いながら立ち上がるとそのまま部屋を出て行った。
幸村はその姿が見えなくなるのを確認すると、体を起こし、自分の?に触れた。
指先を濡らす雫。
それに、自分があの男にとってどれだけ大切なのかを思い知らされた気がして、幸村は。

「気をつける、佐助」

もうお前を泣かせるようなことはしない。
だが、お前も。お前が死んだりしたら俺が同じように涙を流すのだということを、だからどんなに厳しい状況でも、必ず生き抜いて欲しいのだということを。

共に天下泰平の地まで。



後日、あの冷静沈着がウリの忍軍の頭領である猿飛佐助が怪我を負った幸村を押し倒してその胸の中で泣いたという噂が、女中の間でまことしやかに流れたというのは、また別の話。
















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