この命が止まる瞬間まで
あなたと共にこの命を全うすること
それで、それが、すべて




死地に赴くひとがみた光









「俺はお前には謝らなくてはならないのだろうな」

前を向いたままだった。
恐らくじきに戦場と化す城を小高い丘から見下ろしながら己の一歩先に立つ人は、そう言葉を口にした。
空は、鬱陶しくなるくらいに晴れ渡っている。
まるでこの世界は光に満ちていて、素晴らしく美しいと言わんばかりだった。
そしてそれはその通りなのだろう。
天下を騒がせた石田の軍も既に瓦解している。戦の勝者となった徳川が主導となり時代は新しい方向へと着実に動き出している。
長きにわたった戦乱の世界は終わる。誰もがそれぞれの形で描いた天下の泰平。それが徳川主導で進められるのだ。

だが、幸村と佐助はその徳川の輪の外側に立っていた。
それは徳川の譜代の大名ではないというそういう次元ではない。彼を取り囲む腹心ではないという意味でもない。
天下泰平を作る徳川に対して、叛意を翻す側に。もっと言えば徳川の作る泰平を壊しかねない立場に幸村は立っていた。
しかし、そうはいっても圧倒的な量を誇る徳川の軍全てを壊滅させんとする力が己らの側に無いことを佐助は、そして幸村は理解をしていた。
敵の大将、徳川家康の首をとれればあるいは。自分たちが手に入れることのできる勝利と言えばそれほどに儚い望みと言ってもいい。
有体にいえば、負け戦だ。そして、きっと最後の戦だ。恐らく生きては戻れないだろう。
それでも、幸村はこの戦から降りることはない。
それは共に戦う仲間の為であり、真田の矜持の為であり、何よりも幸村自身の為だった。

佐助はといえばそんな幸村の一歩後ろに相も変わらず控え続けている。それを幸村はきちんと理解をしている。
気配はないはずだ。だが、幸村は後ろを振り返ることもなく、佐助のことを伺いもせず言葉を続けた。

「本当は、泰平の世でお前と共に生きたかったのだ」

過去形で紡がれる言葉からすれば後悔をしているのかと思わせるものではあった。しかしその口調はどこまでもまっすぐで、揺るぎない。
もう、この人の中には病を得、倒れた武田信玄より大将の任を戴いたときのような逡巡もないのだと佐助は改めて知る。
全ての状況を理解し、選び取り、今の絶体絶命と言って差し支えない状況もすべて受け止めてここに立っている。
遠くまで来たんだと、佐助は思った。しかし、ここで深刻な態度をとるのも何か違う。
佐助はいつも通り、おどけたように肩をすくめると軽く自嘲気味に笑った。

「は?大将が戦忍びの俺様と?」

身分も何もない畜生同然の忍びと、真田の大将がだなんて冗談でしょうよ。大将は兄上がそうであったようにどこか良家のお嬢様をお嫁にもらって三国一の幸せにならないと。
しかし、幸村はゆるゆると首を振ると佐助となのだ、と答えた。

「武器も何も持たずとも、笑って暮らせる世で、お前と共に並んで生きていきたいと思っていた。お館さまからも、佐助はよく働いている、故に戦の世が終わったら安穏と生きることができるよう計らってやれともお言葉を頂戴していた」
「ふうん」
「だが、それを叶えてやれそうもない。俺は最後まで武士でいたい。敵わぬと知っていてもなお、俺はそうやって生きて、死にたいのだ」
「・・・・・・」
「だからそんな我儘にお前を付きあわせることを謝らねばならぬ」

そこで、幸村は初めて佐助の方を振り返った。
空の青に、赤が映える。
そしてその中から、まっすぐで揺るぎない視線が佐助に向けられた。
焦がされるのではないかと思うくらいに熱くてまっすぐな瞳だ。そして何処までも透き通っている。
それを見ながらこの男の瞳は、本当に曇らないのだと佐助は思った。
幸村の目にも佐助と同じく絶望的な状況が見えているはずに違いない。それでも彼の目は曇らない。
それは初めてこの男に出会って、仕えることになったときから変わらないものだ。
そして、その時に決めた自分の気持ちも変わらない。
佐助は幸村が謝罪の言葉を紡ぐより先に、平素のようにへらりと、笑った。

「わかってるよ、大将。俺様は忍びだ。最後の瞬間まで忍びとしてアンタの傍にいるよ」

というか、居させてくれよ。そう佐助は微笑んだ。

「すまぬ」
「だから、いいって。てかさ、いつも言ってるでしょうが。大将のために死ぬことが忍びとしての幸せなんだってさ。大体戦忍びが泰平の世の中でどうして生きていけるのさ。だったらアンタの三本目の槍になって、折れるまでこき使ってよ」
「そうか」
「そうですよ。それに、竜の旦那との最終決戦も待っていることだしね。ああ、徳川の旦那には負けてもいいけどさ、竜の旦那には勝ってよ。あの人に負けてってのはさ、俺様にとっても寝覚めが悪いわけよ」
「無論だ、政宗殿だけには負けぬ」
「その意気だよ、大将。俺様はそうだな、あとは三途の川の渡し賃だけ貰えればお給金もそれで十分だから。あの世ではお金を持っていても仕方ないでしょ。俺様はそれで十分に幸せですから」

本当は、彼を戦のない世界の向こうまで導いて、彼の幸せを見届けたいところだった。
彼が槍を置いても生きていけるそんな場所まで。
たとえ、そこに自分のいる場所がなくても。彼が幸せであれば、共に在れなくてもそれでも。

しかし佐助がそう言うと、幸村は困ったように眉根を寄せ、そっと目を伏せた。
そんな幸村の姿に佐助は首を傾げる。
幸村は基本的に思ったことをそのままに口にする。それがたとえ支離滅裂だろうとも。
故に佐助は何かを言い淀む幸村のことをほとんど目にしたことがなかったのだった。
どうしたの、大将。
そう声をかけようとし、佐助は口を噤んだ。それは、まっすぐな視線が佐助を射抜いたからだった。
まっすぐで、まっすぐで熱くて、痛い。そんな視線だった。
一瞬嫌な予感が背筋を走る。それでも佐助は言葉を発することができなかった。

「佐助」
「・・・なによ、真田の大将」
「今生では俺は俺の望みのためにお前を振り回すことしかできなかった。だがもし、この世の先に次の世があるのであれば今度こそ俺はお前と共に、お前のために生きたいと思う」
「・・・・・・」
「お前を幸せに、してやりたいと思う」

それくらい、俺はお前に感謝をしておるし、大切に思っているのだ。

淀みなく、スラリと零れた言葉に幸村は満足そうにしかし、言葉に少し照れたように笑った。
佐助はそんな幸村の言葉にただ唖然とすることしかできなかった。
この人は今なんと言ったのだ。こんなの、まるで。
佐助はざわめく心を鎮めながらゆっくりと息を吐く。

「・・・ねえ、生まれ変わりなんて、らしくないよ大将。大将はただ、今生を、必死に生きる人でしょ。らしく、ない」
「そうか」
「それに、絶対見つけられないよ。日の本は広いし、話によれば海の向こうにも国はあるんだよ。そもそも同じ時代に生まれるかどうか」
「大丈夫だ、佐助。必ず、見つける」

何処にいても、どこに隠れていても。必ず。
そういうと、幸村は優しく目を細めた。その瞬間、佐助の体の中を走る血液が波打った。

初めから望まないようにしていた願い。
押し殺していた思い。
気付かないふりをし、仕舞い込んでいた感情。
それをこの男は。

佐助は頭を抱える。
不覚にも、嬉しいとそう思った自分を嫌悪しながらも、それでもただ嬉しいと思った。
来世と言わず今生を主が幸せに過ごせるようにこの身を呈して彼を守り死ぬことが幸せだと思っていたのに。
この人は、そんな佐助の覚悟なんてたった一言で簡単に変えてしまうのだ。そういつでも。
忍び失格だ。だからかすがにも甘いと言われるのだろうし、風魔に勝てないのだろう。
だが、悪くないと思った。思ってしまったのだ。
佐助は逃げるように空を仰ぐ。やはり、空はただ青く、高い。
佐助は深く、ため息を吐いた。

「あーもう、大将は人の言葉を全然聞かないよね」
「そんなことはない。佐助のほうが勝手に決めつけて俺の意見を聞かぬではないか」
「だってさぁ・・・ああもう勝手にして」
「そうさせてもらう」


「佐助、いくぞ」


そういうと幸村は満足そうに笑いながら佐助に手を伸べた。
赤い手甲に覆われた手。人を、殺め続けた手。共に、武器を取り戦った手。
願わくば、と佐助は思う。
もしも来世があるのであれば、その時はこの人の手が汚れなくて済みますようにと。
そしてこんな手甲などがなくとも共に手を取って、歩けるようなそんな日々が訪れますようにと。


(俺様もヤキが回ったってとこかな)


佐助は肩を竦めると幸村の手を叩いた。鈍い、音が響く。




「仰せのままに」




願わくば、時空を超えたその先まで。

















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