※有名なお茶会エピソードから捏造



   





所詮は己らも散るべきものの一つだとしても。





幾千もの星が降るこの世界で










「刑部!」

鋭い声が飛んだ、と思った瞬間襖が弾け飛んだ。
否、弾け飛んではいない。しかしそうと思えるくらいに勢い良く大谷の部屋の襖が開け放たれた。
大谷は主君の声に書物に落としていた視線を緩慢に持ち上げた。すれば想定通りと言っていいであろう、そこには憤怒を宿した三成が仁王立ちをしていた。
三成はきゅっと眦を釣り上げてそこに立っている。三成は顔の造詣が整っているだけあり、怒った表情をすると余計に怖く感じてしまう。
そんな三成を見ながら大谷はため息をついた。そして三成の後ろに視線をやる。
するとそこには、唇を尖らせて項垂れる一人の青年の姿がある。なるほど今日も彼は三成を怒らせてしまったらしい。

「やれ、左近。今度は何をやらかした」




* * *




「三成様もあんなに怒らなくてもいいと思いません。折角おいしいお茶菓子かってきたのに」

炊事場に立ちながらため息を吐く左近を尻目に、大谷は水を火にかけた。左近はと言えば隣で茶碗を念入りに拭いている。
今日の事の発端は、左近が珍しく三成のために茶を入れたことだという。
出かけた帰りに茶屋でうまそうな茶請けの菓子を見つけた左近は、三成にも食べさせようとそれを買ってきた。だがそれを三成に出すにあたって茶もなく持っていくのは流石に具合が悪い。すれば茶を入れて持って行ってやろう、そう左近は思ったらしい。
誰か適当に侍女にでもやらせればよかったのだろうが、左近は自分ですると決めたことをは自分で行う男だ。それに自分が茶を入れたということで三成が喜ぶのではないかと思案したらしい。
しかし、煎茶か何かにしておけばよかったところ、欲目をだし左近は抹茶を入れようとした。そして具合の悪いことに左近はそっちの方に明るくなかったのだという。
当然のように適当に左近が入れた茶がおいしいわけもない。それに加え三成はここ最近執務に追われていた上に、先日豊臣を裏切った徳川を討たぬように半兵衛と豊臣に言いくるめられ不機嫌だった。そこに、今日の些事だ。毎日の様に厄介ごとを起こす左近に対して怒りの沸点の低い三成の堪忍袋の緒が切れたようだ。
そんな左近に茶の入れ方を教えるように大谷が指示を受けたのが先刻のこと。
他にやるべきことは多くある。次の合戦の作戦も考えねばならぬし、周辺国への謀略も進めなくてはならぬというのに。
とんだとばっちりだと思いながらも、大谷は低く笑った。

「だが、あんなヌルく、粉っぽい茶を出されたらさすがの三成でも怒ろうよ」
「えー。だって三成様、猫舌じゃないっすか」

それに湯が沸くの待つのがめんどくさかったんすよ。
そういって唇を尖らせる左近に、なるほどそこが本音かと大谷は笑った。

「早く食べて欲しかったし…」
「だがそのせいで茶が遠のいた。急がば回れという言葉もある。ヌシはもう少し忍耐を覚えよ」
「はいはい。まあ、でも俺の失態があったおかげで刑部さんのおいしいお茶が飲めるんですから、三成様も逆に良かったんじゃないっすかね」
「相変わらず頭のメデタイ男よな」

薬缶の中の水はいつの間にか湯に変わっているようだった。
しゅうしゅうと湯気を吐き出すそれを見やると、大谷は湯を茶碗の中に注いだ。
ゆらりと透明な湯が茶碗に揺れる。そこに映る包帯に包まれた自分が映る。その瞬間、脳裏にある言葉がよみがえった。

それは、太閤が開いた茶席でのことだった。
豊臣の諸将が集まり、参加した茶会。太閤が入れた茶を皆で回し飲みをするという趣旨の場で、隣の将は大谷が茶碗に口を付けた後のものに触れることを渋った。
その時分既に病を患い、見目が醜かった大谷の病を得ることを危惧したのだろう、場が白けるとはわかっていただろうに、彼はそれを受け取らなかった。
受け取り、太閤の茶を飲まぬ将より、そもそもこのような事態になることが想定されたのにも拘らずこの場に参加し、しかも末席ではない場所に座った大谷に対して非難が向き始めたとき、一人の男がすっと、立ち上がった。

『刑部、速く回せ。私は喉が渇いた』

場を横切り、大谷の前に立った三成は大谷から茶碗を取り上げるとそれを一気に飲み干した。
呆然とする大谷と諸将の前で三成はその茶碗を地面にわざと落とすと椀自体も交換させ、彼は何もなかったかのように自席に着いた。
茶会の後も、三成から大谷に対して言葉はなかった。
恩を着せることだって、何だってできただろうが彼はそうしなかったのだ。

(三成だけ、だったのだ)

幾ら自分が太閤―豊臣秀吉やその右腕である竹中半兵衛、そして左腕である石田三成に重用されているからと言って、大谷のことを全ての人が好意的に扱うわけではない。
かつてはそのような境遇を嘆いたこともあったが、今になってはそれを仕方のないことだと思っている。
それに、最近はかつてのようなことがあってから豊臣も竹中もある程度の配慮はしてくれているようで、大谷が己の病に関して周囲が不快感を示すような場面には遭遇することは滅多になくなっていた。
それでも、新しく入った兵等からすればあまり、気持ちがいいものではないのであろう。大谷の包帯を不思議がり、その理由を知るとやはり距離を取られたり、あまり近寄らないようにする者も中にはいる。
しかし、と大谷は隣に佇む青年に視線を向けた。
精悍な表情をした、明るい青年。三成と仕合い、三成に惚れ込み三成に仕えるようになった左近は、初めて会った時から大谷に対して特に変わらず、三成に向けるような親愛を見せている。
もしかしたら三成に言い含められていたのかもしれないと思っていたが、左近は初めから今まで大谷に対して避けたり、疎んだりするような表情も行動も見せたことがない。
寧ろ進んで自分の湯浴みにつきあったり、包帯を巻きなおすのを手伝うこともあった。
そして三成同様、そのことについて恩着せがましい発言をしたこともなければ、取引材料にしたことすらないし、その気配すら見せない。
それは、この二人と居ると自分が今まで感じていた不幸の星など初めからなかったのではないかと錯覚するほどだ。
大谷は器を温めるために注いでいた湯を捨て、茶杓で抹茶をすくいながら息をついた。

「ヌシも、気にせぬのな」
「え?何をっすか」

左近は大谷の言葉に首を傾げる。だが大谷の言葉のさす意味が分からなかったらしい。暫く逡巡してから左近は刑部さんの茶、うまくて好きっすよ!と楽しそうに笑った。
その邪気のない、純粋な言葉に大谷は低く笑う。
主が主であれば、家臣も家臣なのだろう。悪く言えば馬鹿で、損をするそのまっすぐさを、それでも大谷は好ましく思うのだ。

「なんでもない。左近、湯を茶椀に注ぎやれ」
「はいはいっと。あ、ちゃんと刑部さんのもありますからね、茶菓子」
「重畳重畳。だがあまり遊びあるいてばかりおると三成に叱られるぞ。どうせ鉄火場で遊んできた帰りの土産であろう」
「げ、旨いもんかってきて怒られるのは割に合わねえっての」

鉄火場のことは内緒にしてくださいよと言いながら湯を椀に注ぐ左近にはて、とごまかし大谷は茶筅でかき混ぜる。
ふわりと薫る茶の香りを感じながら緑の液体に細かく浮く泡に大谷は目を細めた。
この乱世において言えば、今生きるこの命などこの泡のようにいつはじけ消えるかわからない。
それでも。他人の不幸と死を望み司ってきた自分ではあったが、この世界でたった二つの命だけは消えねばいいとそう思う瞬間が時折あった。
それがどれだけ浅はかな願いかということは分かってはいるつもりではある。だがそう願わずにはいられなかった。
そして。

「遅い、まだか」

後ろからした声に振り返ると炊事場の入り口に主人である三成が立っていた。
どうやら待ちきれずにやって来たらしい。そんな三成に大谷は苦笑した。

「我慢しやれ、三成。湯が沸くのに時間がかかる故。これが最短よ」
「そうか」
「って三成様も人のこといえないじゃないっすか」
「何がだ」
「なんでもありませんよーっと」

盆の上に茶碗を三つと左近が買ってきた菓子を乗せると、左近がそれを持ち上げた。

「落とすなよ、左近」
「大丈夫ですって。三成様、俺ってそんなに頼りない?」
「貴様は今まで自分がやらかしてきた失態を思い返せ」

下らないやり取りに興じる二人に大谷はため息を吐く。
すれば、大谷のため息に二人は同時に振り向いた。

「って刑部さん、早く行きましょう。お茶、冷めちゃいますし」
「刑部、何をしている。早く来い」

そういうと、左近は満面の笑みを浮かべ、三成は踵を返した。
そんな二人を眩しく思いながら、大谷は一歩彼らの方へと足を踏み出す。

「あいわかったわかった。あまり急かすな」


願わくば。
菫色の星と、赤い星を目印に、進みゆくことを。
そう、どこまでも。




たとえ、間断なく不幸の星が降り注ぐこの世界の中でも。









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