※家康ドラマルート最終戦ネタバレ。
左近との会話、特に会話語から撃破台詞の間から捏造しています。
家康が結構歪んでいるのでご注意ください。


   





たった一つの真実を知る貴方を。




貴方の唇は嘘で彩られてゆくのですね





それは月が明るい夜のことだった。

空気は冴え冴えとしており、晴れている。
月光を遮るものも何もなく、さらさらと木の葉が擦れる音だけが夜闇に響いていた。
そんな夜。豊臣の部屋を辞した家康は共も連れず居城の長い廊下を一人で歩いていた。
ひたひたと自分の足音だけが、空間に満ちていく。

「家康」

廊下を曲がり中庭に面した廊下に出た時だった。柱の陰に一人の男が立っているのを家康は見つけた。
そこに立っていたのは最近、豊臣の中に名を連ねた将の一人だ。
家康と旧知の間柄である石田三成がある夜、拾って来たらしい男―島左近。
すらりとした体躯。しかし彼の主とは全く違い、必要な筋肉が万遍なくついており酷く健康的な印象を与える。
そして普段はその身にまとう色の通り、快活な表情を浮かべている気持ちのいい男だ。家康もこの男のことを憎からず思っており、また同じく徒手空拳を使う同士、鍛錬を共にしたこともある。
しかし今宵、月光に照らされた家康を見る彼の眼はいつもの彼に似つかわず剣呑としており、今にも家康に噛み付きそうな敵意に満ちていた。
ひりひりとしたそのむき出しの感情に家康は眉根を寄せ、笑みで返す。

「なんだ、左近。こんな時間に」

左近の敵意に気付かない振りをしながら家康は左近の前に立った。
左近は家康が目の前に立っても柱に背を預け、腕を組んだままの姿勢を崩さない。
そんな左近の態度に家康は首を傾げる。
左近は行動言動共に軽挙ではあるが、基本的には礼節は忘れない人間だ。故に今宵の左近の態度は少しおかしい。
そんなことを思っていると、左近は苛立ったような態度を隠さず、家康に対して言葉を吐いた。

「アンタ、三成様を置いてくんだな」

前後の文脈もなく唐突に吐かれた左近の言葉に家康は身を固くした。
左近はそんな家康にまっすぐに視線を向けていた。それは家康の中に走る感情の揺らぎも誤魔化しもすべてを見逃さんとするように。

『豊臣を離れたい』

つい先刻のことだ。秀吉と半兵衛に謁見した際にそう、家康は二人に伝えていた。
己が見ている道と、貴方たちの見ている未来が違うことに気が付いてしまったからと、そう告げた。
秀吉と半兵衛はそんな家康に分かったと答えた。無理に引きとめても自分が戻らないことを二人は気付いていたのだろう。
その代り、今夜中に出ていくようにそう、最後の指示を出した。
日が高い時刻であればある男が大騒ぎをするのが目に見えていたからだろう。家康は頭を下げ二人の部屋を辞した。
そしておそらくその会話を、左近は聞いていたのだ。偶然、だったのか、最近の家康の様子を見ていて訝しんでいたのかは定かではない。
しかし左近は軽薄に見えるが鋭い男だ。特に彼の主に関わる人間に対しては厳しい目を向けている。
厄介な男に聞かれたな、そう家康は頭をかきながら動揺を悟られないようにそっと息を吐いた。

「なんだ聞いていたのか。立ち聞きとは趣味が悪いぞ」
「そんなことどうでもいい。なあ本気で、離反するつもりなのかよ」
「ああ。ワシは今夜ここを出ていくよ」
「……三成様には何も言わないのかよ」
「言う必要もないだろう。きっと、三成は分かってくれない」

豊臣を離れることを、三成はどんなに説明したところで許しはしないさ。
家康の断定的な口調に左近は眉根を寄せた。その表情が家康の言葉に納得をしていないことを如実に語っていた。
おそらく、と家康は直感的に思う。
恐らく、左近は家康が豊臣を去る理由を朧ながらに理解している。家康自身が認めたくない、自分の中に眠る本当の理由を。
故に、家康は左近からの言葉から逃げるために、言葉を続けた。

「左近」
「……」
「三成を、よろしく頼む」

家康はそういうと左近に頭を下げた。顔をあげ、いつものように微笑むと左近は酷く嫌そうな表情を浮かべていた。
そんな左近から逃げるように家康は踵を返す。

「ちげーだろ」

後ろから舌打ちが聞こえた、そう思った瞬間家康の肩が強引に掴まれ、左近の方へと向けさせられる。
反射的に家康が左近から逃げようと一歩下がる前、一瞬早く家康の胸ぐらを左近の手が掴んだ。
遠慮ない力に引き寄せられ家康は思わず前につんのめりそうになった。
しかしそれすらも許さないように左近はそのまま家康を廊下の柱に押し付ける。
その際の衝撃で背中に鈍痛が走った。しかし、家康は声をあげることも、暴れることもできない。
左近はそんな家康の様子を無視し、続ける。

「アンタは怖いんだろう。三成様と共に歩んでその先で道が分かれたときに三成様がアンタのことを捨てることが」
「……」
「だから三成様を捨てるんだ、自分が捨てられないように。それでずっとあんたのこと、三成様が追いかけるように」
「……さ、こん」
「でも、俺や刑部さんじゃダメなんだよ、三成様にとってのアンタの代わりにはなれないんだ。それくらいアンタにもわかるだろう」

左近の声は震えていた。
怒りで満ちた双眸に左近は大粒の涙を湛えていた。しかしその涙は辛うじて零れることはない。
静かな場内に左近の叫びに似た声が響く。

「アンタは分かってない。あの人の中でアンタがどんだけ…あの人がどんだけアンタと築く未来を…」
「……」
「そんなんイカサマだろ、正々堂々勝負しろよ。家康…」
「左近」

すまない。

家康の言葉に、左近は呆然とした表情を見せた。
そして次の瞬間、左近の両腕からは力が嘘のように抜け落ちた。
床にへたり込むように崩れ咳き込む家康に、左近はよろよろと後ろに下がる。
そして左近は悲しそうな表情を向けると踵を返した。
さっきまでの苛烈が嘘のように肩を落とし歩み去るその後ろ姿を眺めながら、家康は口の中で小さく呟く。

(わかっているんだ、左近)

家康は自分の胸を服の上からぎゅっと押さえた。
しかしそれでは自分の胸の中で痛む場所には届かない。
左近の言葉は、彼の鋭い言葉は確かに家康の心に届いていた。そして致命傷をえぐっていたのだ。
自分が隠し、見ないようにしてきた感情を、全て白日のもとへと晒さんとするその刃に、家康の心は痛んでいた。

(わかっているさ)

自分がどれだけ残酷なことを望んでいるのかも、それで彼がどれだけ傷付くのかも。
わかったうえで、この道を選んだのだ。譬え身勝手だと誹られたとしても。

月夜に照らされるその姿。それを家康はしばらく眺めて、そして目を閉じる。
瞼の裏で、月が落ちた。


* * *


『家康』

何処の戦場だっただろうか。
劣勢と言われた戦だった。しかし家康と三成はその状況をひっくり返し勝利を収めた。
家康が自分の足元で倒れ伏し絶命している敵の総大将を眺めていると、遠くから残党処理をしていた三成が駆け寄ってきた。
その体には血がべったりとこびりついている。しかしこれだけ軽快に走れるのだ、彼自身には怪我はないのだろう。
三成は家康の足元に倒れる武将の顔を確認すると、満足そうに頷いた。

『貴様と私がいれば豊臣の天下は取れたも同然だ』
『……』
『此れからも秀吉様のために励め、いいな。拒否は認めない』
『…ああ』

三成の透き通った双眸は、ただ単純に喜びを写している。
表情こそ変化はなかったが、しかし三成の声は僅かに弾んでいた。
それを家康は嬉しく思い、同時に悲しく思った。
三成の目に映るのは秀吉の配下の一武将である家康なのだ。
この男の世界でただ特別なのは秀吉と半兵衛だけで、他は全て同じ意味しか彼の中にはない。
嘗て、その三成の純粋さを家康は好んでいた。美しい、そうとも思っていた。しかし今は残酷だとも思ってしまう。
もし、叶うのであれば。彼の中の特別になりたい。そう、家康は思うようになっている。
だが今は。そんな自分の中の感情には目を瞑って。家康は三成に微笑む。

『わかっている、三成。ワシはお前と共に歩もう』

どこまでも。

そう答えた家康に、三成は満足そうに目を細めた。


* * *


硝煙の満ちた戦場の真ん中に一人の男が倒れていた。
復讐という名の狂気に満ちた戦場。恐らく、この戦の総大将の精神状態だけが原因ではないだろう。末端の兵まで全て、あの男―豊臣秀吉を信奉していた全ての兵士たちが復讐という名の狂気に彩られていた。
戦は混戦を極めている。混沌とした中で、それでも徳川の軍の方がいくらか優勢だった。
感情からの行動は攻撃力を大幅に上げるが、逆に視界が狭まる。故に一か所が崩れてしまえば脆い。
それは今、家康の前で地に伏せる男も例外ではない。

土と煙に塗れた男は自由に効かない四肢に歯噛みしながらそれでも必死に家康のことを見上げている。
その眼には強い意志が宿っている。何人たりとも曲げることのできないであろう意志が。
今すぐにでも家康を殺してしまいそうな殺気を発している。しかし家康の下にいる男は体を起こすことすらできない。
それは彼が負った深い傷と、そして家康自身が男の首のあたりを掴み地面に押し付けていることに起因している。
彼の獲物は既に遠くに弾き飛ばしている。そして彼の特異な頑強な足から繰り出される蹴りも、忠勝との戦いでほとんど使い物にならなくなっていた。
後一撃、それで彼は絶命する。それでも彼は全くと言っていいほどに恐怖をその眼に写さなかった。
それは彼に生きる意味を与える男のおかげなのだろう。徹頭徹尾彼のために生きることのできる彼に家康は素直に感動し、そして酷く嫉妬した。
右手に、彼の首を掴む右手に知らずに力がこもる。彼がその痛みに僅かに呻いた。

「家康…ッ」

家康の手の中で荒い息を繰り返す男―島左近は最後の力で必死に家康の手から逃れようと身を捩った。
その度に、彼の下にある赤黒い水たまりが広がっていく。しかし痛みすらも麻痺をしているのか左近はただ、僅かな余力で家康に対して抵抗を試みている。
死は間近であろう。しかしこの期に及んでも左近は強い視線を家康に向けていた。
憎悪と嫌悪を宿したそれは、あの夜家康に向けたものと全く同じだ。
家康はそんな左近を見下ろしながら、表情を歪めた。
これが最後だ、と家康は思う。自分の醜さを知り、それをあの三成に言葉にするだろう男はこの男が最後だ。そして己の願いを叶えることを阻むだろう男も、この男だけだ。
だから家康はこの戦の前から左近のことだけはこの手で冥府へと送ることに決めていた。
その前に、全ての感情と懺悔をこの男に託して全てを闇の底まで持って行ってもらうために。
家康はそう思い、手に込める力を微塵も揺るがせないままに口を開いた。

「なあ左近」
「なん、だよ」
「あの時の話の続きだ」

あの時。左近は一瞬だけ考えると、すぐにあの夜のことに思い至ったのだろう。表情を歪めた。
その表情の変化を認めると、家康は続ける。

「お前の言葉は正しい。ワシは三成に裏切られるのが怖かったんだ。ワシと三成の絆を否定されるのが怖かったんだ」
「……」
「だから引きちぎった。強引に乱暴に引きちぎった。そうすれば三成がワシを追ってきてくれることは分かっていたから」

秀吉と三成を裏切ったことに対する憎しみ。あの純粋でまっすぐな三成がその感情から逃げられなくなることは付き合いの長い家康からすれば手に取るように、容易くわかる。
だから袂を別ったのだ。
三成は家康の思惑通り、家康に執着をしていた。秀吉の配下の一人ではなく、「徳川家康」個人として家康を捉えてくれた。
それに暗い満足を覚えたのを家康はしっかりと覚えている。
しかし、今の三成はそれだけでは足りないのだろう。
そんな小さい憎悪では、執着では今の三成をこの現世に留めておくことはできない。

「だが、左近。そんな小さい憎しみだけでは秀吉殿が死んだ世界で―そして討つべき仇がいない世界では三成は生きていくことはできないんだ」
「そんなことしなくていいんじゃね。家康、俺と刑部さんであの人のことはちゃんと止めて、共に生きてやんよ」
「あるいはそうなのかもしれないな。だが、ワシはそれでは嫌なんだ」

共に歩めないことは、初めからわかっていた。
領地を抱え、民を思う自分と、全てを豊臣のためにささげてしまうことのできる三成。
あの男と歩んでいきたい、否、自分だけを見て欲しい。そう願った嘗て。
豊臣の臣下の一人ではなく、徳川家康だけを見て追いかけて欲しかった。
しかし同じくらい、家康は恐れていた。彼がふとした瞬間に、己との絆を疑い、自分から手を離してしまうことを。
だから、自分は確実な手段をとった。
彼が一番厭う裏切りを。そして今は。
豊臣を討った最大の裏切り者として名乗りを上げ彼の恨みを買い、そして彼が無意識だろうが大切にしている部下の命を一人。
憎しみという名の原動力を彼に与えるために。その矛先を自分にだけ向けてもらうために。
その美しい双眸に、ただ一人の男を写すために。
我ながら暗い発想だった。それでも家康はそうせずにはいられなかった。

「だから、ワシはワシの願いを叶えるぞ、左近」
「へへ、やっとアンタの本音を聞いた気がするよ」

左近はそういうと表情を歪めた。
血で塗れ、所々赤黒く腫れあがった顔面からは判別が付きにくかったが、それでも家康は彼が笑ったのだとわかる。
左近はそこで一つ、深い息をつくと体から力を抜いた。左近の腕が地面に落ちる。

「さあ家康、賭けは俺の負けだ。好きなものを持って行け」
「ああ、そうさせてもらう」

「左近」

「その命、その魂、三成のために使わせてもらう」


* *


動かなくなった男の強い視線を昏く閉ざすと、家康は立ち上がった。
戦場はまだ、硝煙と、火と、そして人々の咆哮で満ちていた。
混沌とした場所の真ん中。それでも家康の心は酷く静かに落ち着いている。
冷たく、研ぎ澄ませた感情は微塵も揺るがない。決意も、彼を切りさく言葉もしっかりとした鋭さを持って家康の心の中にあった。

「三成、待っていてくれ。今行くから」

そしてどうか。
最後。貴方のその眼が、その透明で美しい眼が閉ざされる最後の瞬間まで。




嘘という美辞麗句で着飾っても。
それをあなたに告げる人は、もういないのだから。
















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