嘘だって全て溶かして溶けて





これを幸せというのなら






「あ、三成さん、おかえり」

終電間近の電車に駆け込み、やっとたどり着いた自宅の扉を開けた瞬間暖かい空気と明るい光、そして快活な声が三成を通り抜けた。
通勤用の皮靴が整然と並ぶ中、揃えられもせずバラバラな方向を向いたまま脱ぎ捨てられたスニーカー。それが一人の男の来訪を示している。
三成はため息をつき、靴を脱ぐと自分の靴と、少し汚れたスニーカーを揃え玄関に上がる。
廊下を抜け、リビングに入ると見慣れた赤いパーカーを着た男の背中が目に入った。彼は三成の方を振り返らずひらひらと右手を振った。
左手にはコントローラーが握られている。どうやらゲームに熱中しているようだ。

三成は壁にかけていたハンガーを外し、コートとマフラー、そしてスーツのジャケット、ネクタイを掛ける。
普段であれば帰宅直後の室温はセーター等を着ていても耐えられないほどであるが、先客が暖房を全開にし部屋を存分に暖めていたおかげでYシャツ一枚でも十分に過ごせる。
服を掛け終えたところで鞄と、もう一つ荷物を手に三成はテレビの前へと移動した。

「来ていたのか」
「だって明日休みっすよ?まあ三成さんがこんなに遅いとは想定外だったけど」

新築とまではいかないが適度な築年数で住みやすい都心の高層マンション。
大きく取られた窓から夜景を望める1LDKの間取りの三成の家のリビングを占拠し、大画面のテレビでゲームに興じているのは島左近という男だった。
精悍な顔つきをし、真面目な顔でテレビをにらみつける男はそこそこに整った顔をしている。
運動と何よりも博打が好きな男は三成の最寄駅から三駅ほど離れた町の中学校で生徒たちに体育を教えているらしい。
それもあるのだろう、腕まくりをしている左近の腕にはしっかりと筋肉が浮き上がっていた。

商社に勤務する三成と全くと言っていいだろう接点のない職業についているこの男との出会ったのは半年ほど前だっただろうか。旧知の友人に呼ばれて行った飲み会でのことだった。
初めて会う人間も多くいた飲み会で三成は特に話すこともなく、押し黙って酒を飲んでいた。左近はそんな三成に声をかけてきたのだ。
場を盛り下げないための配慮だろうと三成は解釈をし適当に付き合っていたが、何故かその会が終わった後も左近は三成に勝手に付きまとい、構ってきた。
快活で、豪胆で。自分と全く正反対の性格と生活を送る左近に三成は戸惑い、始めはいくらか鬱陶しく思っていた。しかし次第に三成はそんな男に惹かれて行った。
お節介な友人、から関係が変わったきっかけもよく覚えていない。
気付けば休みの日は家に籠りがちになる三成を外に連れ出すために毎週のように土日にやって来、そんな生活を続けるうちに食が細い三成が心配だから、などと理由をつけ三成の家の合鍵を作り、時々残業で遅い三成のために料理を作ってくれるようになった。
そしてそのまま共に夕飯を食べ、三成の家に泊まることもある。
そんなことをしているうちに三成の部屋には左近の私物が増えてきていた。左近が今興じているゲーム機だって、左近が何かの景品に手に入れてきたものだ。
三成は触りもしないものだが、今では我が物顔でテレビの前の一区画を占領している。
次第に左近の私物が増えて行く様子に三成は辟易しながらも、しかし何故か嫌な気分もしないのだから不思議だった。

荷物を床の上に放り出すと三成は左近が背もたれにしているソファに上がり、クッションを抱きかかえた。
すれば丁度ひと段落ついたらしい。左近は機械の電源を切るとテレビ画面をニュース番組に切り替え、三成の隣に座った。
テレビでは今日一日の出来事が映し出されている。それを二人並んでぼんやり眺めていると左近が思い出したように三成を呼んだ。

「そういえば、三成さん今日バレンタインデーでしたけど、三成さんの会社って女子社員からチョコもらったりするんすか」
「ああ、貰ったが。その紙袋に入っている」
「へー、ってうわーさすが三成さん!いっぱいもらったんすね」

左近はそういながら三成の紙袋を覗き込みながら楽しそうにしている。
三成はクッションに顔を埋めながらリビングに視線を走らせる。
すれば、左近の鞄の傍に三成と同じように彼が普段もたない大きな紙袋が置いているのに気が付く。
歪な形に膨らんだそこからは三成の紙袋には入っていないようなもの―ラップやビニール袋等、既製品ではなさそうなものを包んだ包装が覘いていた。

「お前も貰っているではないか」
「これは生徒からなんで大したもんじゃ。家庭科の先生もタイミングいいっつうかなんつうかこのタイミングで製菓の調理実習とかするから今年は先生たち大量に貰ってて。例年ならお菓子禁止―とかいって取り上げるとこだけど授業で作ったもんだから仕方ないし?ホワイトデーのお返しマジめんどくせー」

全部おんなじお菓子だから食べるの飽きるし、手作りの菓子はあまり持たないからちょっと困るし。
左近はそう言うとソファから降り、自分の紙袋から一つ、ラップかビニール袋で簡単にラッピングされたマフィンを取り出した。
明らかに売り物とは違ういびつな形状のそれはそれでも売り物に負けない何かがある。
左近に嬉しそうな顔で、しかしどこかお返しを期待した表情でそれらを差し出した少女たちのことを思うと、三成にしては珍しくどこか微笑ましい気持ちになった。
左近は右手でそれを弄びながら三成の前に立つと悪戯っぽく口角を持ち上げる。

「で、三成さん。俺の分はあるんすか」
「俺の分?」

三成は左近の言葉に首を傾げた。
三成の職場に左近のことを知っている女性はいただろうか。そして誰かから左近のためにそれを預かっただろうか。
と、そこまで考えたところで左近が意図した意味がそうではないことに三成は気づく。
三成から、左近に。恐らくそういう意味だろう。三成は左近の言葉に眉を顰める。
それは三成の中に、バレンタインだからといって誰かに何かを送るという意識は全くなかったからだ。勿論左近が望んでいるものなど三成は用意をしていない。
くだらない。そう思いながらも一瞬躊躇ってから、ない、と三成が答えるとさっきまで嬉しそうに笑っていた左近は唇を尖らせ肩を落とした。

「まー想定通りっつうかなんていうか。俺三成さんにもらえるのちょーっとだけ楽しみにしてたのに」
「何故私が買わねばならない。それにバレンタインは女性が男性にチョコを贈る日だと記憶しているが」
「それ日本だけっしょ?」

海外では大切な人に花とかなんとか送る日なんですよ、三成さん。
そう左近は得意げに言ってのける。
三成は左近に馬鹿にされたことに少し不機嫌になり、左近を睨みつける。

「そういう貴様はどうなんだ」
「俺?俺は買ってないっすけど」
「ならお互い様だ。諦めろ」

そう三成が吐き捨てると左近は困ったような表情を作る。
しかし次の瞬間、彼が意地悪く口角を持ち上げたと思ったときには三成は彼の両腕に肩を掴まれ、強引にソファに押し付けられていた。
視界が反転し、リビングの白い天井が見える。突然のことに驚いていると左近が三成の顔を覗き込んだ。
左近の前髪がふわりと揺れ、三成の鼻先を掠める。
至近距離で交わる視線の先、左近は柔らかく笑った。そしてその茶色の双眸は悪戯っぽく細められている。
だがその柔らかい表情に反して三成の肩を掴む左近の力はどこまでも揺るぎなく確かだった。まるで三成が逃げられないように。
そして何より。
悪戯っぽく細められている茶色の双眸の奥から、三成の薄い感情の波を見逃さないようにまっすぐ三成を射抜く左近の視線が、痛い。
息が触れるのではないかと思うような至近距離で左近は続ける。

「じゃあ三成さん、こうしましょう。俺に三成さんをください」
「……なんだと」
「そのかわり、俺をあんたにあげますから」

今から寒い中買いに行くのも面倒だし、今から行ってもコンビニくらいしか買えるところないし。左近はそう、楽しそうに笑った。

「ね、いい考えでしょ」
「……」

本音を言えば。
別に三成は左近から何かを贈られることを期待していたわけではなかった。
男同士で送りあうことに特に意味があるとは思わない。それにあんなにはしゃぐ女性の中に混じってチョコレートを買うという行為すら億劫であるし、羞恥が先に立つ。
だから、別にいいのだ。何ももらえなくても。
それでも、彼が何かをあげたいとそう思ってくれているのだとしたら、三成としてもそれを無下にすることは本意ではない。
そしてなによりも、三成はこの男のこのまっすぐで熱い視線から逃れられないことを今までの経験から、知っている。
だったら流されてしまうのも一興だろう。そう思い、三成は一度目を伏せると左近から目を逸らす。

「…勝手にしろ」

左近は三成の言葉に満足そうに目を細める。
そしてじゃあ遠慮なく、と三成の頬を両手で包み、唇を塞いだ。


* *


朝、目を覚ますと昨晩隣で寝ていたはずの男の姿はなかった。
部屋には太陽の光が差し込んでいる。三成は容赦ない太陽の光から逃れるように枕に顔を埋める。
どうやら相当寝過ごしたようだ。三成はそっと隣に手をやるが、やはりそこには求めた男の姿も、もっと言えば体温があった形跡もない。
三成はまだ覚醒し切らない意識のまま緩慢に体を起こし、ベッドから降りるとリビングに向かう。しかしそこにもいつものように先に起きてバラエティ番組を見るかゲームをしている男の姿はなかった。

(帰ったのか)

それとも朝から競馬かパチンコにでもいったのだろうか。そんなことを思いながらダイニングテーブルを見やればその上には朝食が並んでいた。
コーヒーにトーストと目玉焼き、それに昨夜の晩御飯の残りであろう味噌汁。
そして、箱が一つ。
三成はすっかり冷め切ったコーヒーに口をつけながら机の上に置かれている箱を手に取った。
シックで洒落た手触りの良い外箱に、金色でどこかのメーカーか何かのロゴが箔押しがされている。
三成はその質感に眉根を顰める。
それは昨日、三成が職場の女性から散々もらったものと似たような箱であり、昨今二月に百貨店などで見かけるようなものと同じような箱だったからだ。
三成は嫌な予感を覚えながらその箱を開ける。
すればそこには小さくたたまれたメモ用紙と、宝石のように輝くチョコレートが入っていた。
繊細な装飾がされたそれは、左近の普段の粗暴さから見れば明らかに対極にあるものだ。

三成はマグカップを置くと、メモ用紙を開く。
恐らく、今朝出かける直前に机の上に置いてあるメモ用紙を引きちぎって書きなぐったのだろう。
切り口がガタガタの罫の入った紙に普段以上に汚い字で左近はこう綴っていた。

『部活の大会の引率なんで帰ります
 昨日はごちそうさまっした』

「イカサマではないか、左近め」

賭け事は正々堂々。イカサマ一切なし。
そんなことを普段から言っているくせに、と三成は思う。
彼は昨日保険を掛けたのだ。恐らく、自分の通勤用の鞄の底に忍ばせて。万が一、三成が自分の仕掛けた賭けに乗ってこなかった時のために。
三成の機嫌を損ねないために、冗談だと言って笑って差し出すために。自分の主義を曲げてまで。

(馬鹿な男だ)

しかし、それは左近が自分を大切に思っている証拠のような気がして悔しいが嫌な気持ちにならない自分も大概だ。
三成はうっすらと頬に弧を描きなら、箱に納まる美しいチョコレートを摘み上げて口に放った。
口に入った瞬間に緩やかに溶け出すチョコレート、広がる甘みと苦み。そしてふわりと薫る洋酒。
甘美な味わいに三成は昨日の左近の優しい目を思い出す。

(礼など、言わぬぞ左近)

細やかな幸せに酔った気分になりながら三成はゆったりを眼を閉じた。



Happy Valentine’s day!!










material:NEO HIMEISM