それはこの命が果てるまで





永劫






「我が主?」

 夕暮れの部屋のなかで、苦悶の表情を浮かべている年若い男を認め、宗茂は思わず駆け寄った。部屋の中央に置かれている南蛮調の椅子に身を預けている、その小さく華奢な体躯をした青年は、宗茂が何よりも優先している年若き主、その人だったからだった。
 主は、目をとじており、どうやら眠りに身をやつしているようだ。夕陽がその白い頬に刺し、その様子は不覚にもたしかに美しい。普段なら、そのあどけない寝顔を、あの毒舌で傲慢な命令と縁遠いものとして、微笑ましく思うのだが、今日はどうやら主は悪い夢でも見ているようだ。細い眉の間には深い皺が刻まれているし、口も助けを求めるように浅く開いている。宗茂にとって主はある意味神聖な存在であったため、不用意に手を触れることさえ、躊躇われるのだが、今は仕方あるまい、そう思い、その細い肩を緩く揺らす。
 しばらくして緩慢にまぶたを持ち上げた主は、少し夢から解放されて、ほっとしたような顔を一瞬見せたが、しかしそれはすぐに消え、午睡を邪魔され不機嫌そうな瞳で、宗茂を見上げる。その瞳の色から宗茂は親切心から 主の午睡を邪魔したことを後悔した。ああ何故自分の周りには主や奥といった短気で我儘で傲慢な人ばかりなのだろうか、と宗茂はため息をつきたくなったが、主の手前、ため息なとつける筈もない。むしろ一層怒らしてしまうのも忍びない。そう思い、とりあえず弁明するかと口を開く。

「我が主、失礼かとは存じましたが、」
「宗茂、話しかけるのではありません、僕は機嫌が悪いんです」

 とりつく島もないらしい。ああ本当に起こすのではなかった、と宗茂は肩を落としたくなる。機嫌を損ねると面倒だということは長い間、主に支えている宗茂にとっては身に染みて、否、骨や髄にまで染みてわかっている。この機嫌を取るのにどれだけの時間と労力を費やすこととなるのだろうか、そう考えて、もう一度顔をあげると、主が壁の方に視線を向けているのに気がついた。
 そこには、主と主が敬愛している宣教師との写し絵が飾ってあった。絵のなかで主と宣教師は笑顔をかたどって写っている。それを特に表情も浮かべずに眺めている主をみて、ああそう言えば主がここまで頑なに不機嫌となるのは、この宣教師絡みの時だったなぁと今さらに思い出す。さすれば夢に見たは、この宣教師だったのだろうな、と宗茂は思考した。
 実際のところ宗麟と宣教師がどのような関係であったのか、宗茂は知らない。むしろ敬愛する主と、胡散臭い宣教師がどのような関係であったか知りたくもなかった。
 宗茂はあまりあの宣教師を好ましくは思っていなかった。しかし、宗麟は楽しそうにしていたし、多分敬愛していたのだろう。ゆえに、宗茂はあの男が去ってしまったときも何も思わなかったが、宗麟は違ったようだった。
 むしろ主が宗教から解放されることを喜んでいる自分とは違い、宗麟は口を真一文字に結び、宣教師が残したものを見つめていた。それからだろう、宗麟が前にもましてあの宗教に傾倒していったのは。それがあの宣教師に追い縋るためだったのか、ただ自分の使命となっていたのか、逃げるためか、ただ楽しかったのかは判然としないのだが。
 しかし、宗茂は一度もその事に異を唱えはしなかった。それは、まず、宗茂が宗麟に対してそのような発言をする立場になかったことと、また宗茂も宗麟を無くしたとき、同様に感じ入るだろうとわかっていたからだった。あの胡散臭い宗教に傾倒するかは別として、自分は宗麟に追い縋るに相違ないと思っている。それくらい、宗茂はこの傲慢で我儘で子供っぽい主を敬愛していたし大切に思っているのだ、どうしようもなく。
 そのまま静かに静謐な時が過ぎ、主の顔に夜の青が射したとき、徐に主がみじろいだ。何事か、そう思った瞬間、主と視線が交錯する。

「宗茂、」

 名前を呼ばれた、と思った瞬間、腕をとられる。
 自分より一回り程小さな手ではあったが、そこから加えられる力は正確に、確かだった。遠慮なく引き寄せられ、少し腰を折れば、椅子から身を乗り出した宗麟の小さく、憮然とした表情が目の前にあった。

「宗茂」

 小さく傲慢な当主は、一瞬、唇を噛み、小さく確かな声で、宗茂を呼ぶ。その瞳のなかには、普段は自分のことなど映さぬくせに、今はただ、宗茂だけが映っていた。

「宗茂、僕のそばからいなくなるなんて、許しませんよ」

死ぬまで僕のそばにいなさい、これは命令です。

 一瞬驚き、喉がつまった。そして次の瞬間には破顔しそうとなった。馬鹿な人だ、と思う。今更だった。こんな命令などされずとも、自分は既にこの主から離れられないのに。否、離れるつもりなどないというのに。
 傲慢で我儘な主に、宗茂は優しく微笑みかける。

「元より承知しております、我が主」

 しかし、そんな宗茂の言葉に主は笑みひとつすら浮かべず、小さく鼻で返事をすると椅子にまた座り直してしまった。
 しかし捕まれた手はそのままだ。宗茂はそんな主に苦笑した。

「しばらくそこにつったってなさい、宗茂」

 目線ひとつ寄越さず告げられた主の言葉に肯定の返事を返しながら、そういえば宗茂は奥に色々と言いつけられていたことを思い出す。しかし、一瞬も考えることなくそれらをすっかりと忘却した。また、怒られるだろうし、雷切での攻撃にあうかもしれない。それでも恐妻の指令より、なにをおいても主を優先してしまう自分は完全に毒されているなぁと宗茂はぼんやりと思った。


さればこの命の果てまで
あなた様に捧げんことを





「宗茂、僕が死ぬまで共にいなさい、命令ですよ、僕が寿命で死ぬまで、お前は僕のそばにいるんです」
「え、あ…はぁ」
(いくらなんでもそれは無理だろう……!)




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我儘宗麟と忠義もの宗茂。
あんなに言われても宗麟に尽くす宗茂が本当に好き!
そして宗麟かわいいよ宗麟!!!!!




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